大判例

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東京高等裁判所 昭和61年(う)1419号 判決 1987年5月20日

本籍

東京都田無市本町四丁目四〇六番地

住居

同市本町四丁目二七番八号

無職(元板金業)

本橋謙治

昭和九年六月八日生

本籍

東京都港区六本木七丁目一八番

住居

神奈川県川崎市宮前区犬倉二丁目八番二一号

会社役員

樋口忠史

昭和一七年二月二三日生

本籍

東京都品川区上大崎一丁目四七六番地

住居

同都世田谷区深沢一丁目一一番一四号

会社員

八木惇光

昭和一九年一二月一日生

右の者らに対する各所得税法違反被告事件について、昭和六一年九月三日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官松崎康夫出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

原判決中被告人八木惇光に関する部分を破棄する。

被告人八木惇光を懲役八月に処する。

被告人本橋謙治及び被告人樋口忠史の本件各控訴を棄却する。

理由

被告人本橋の控訴の趣意は、弁護人山本七治名義の控訴趣意書に、被告人樋口の控訴の趣意は、弁護人中野公夫、同藤本健子連名の控訴趣意書に、被告人八木の控訴の趣意は、弁護人中村悳、同天野武一、同石井春水、同深澤直之連名の控訴趣意書に、これらに対する答弁は、検察官松崎康夫名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

被告人八木に関する控訴趣意第二点(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、要するに、弁護人は第一回公判期日において検察官請求の書証に対し、必要があるときには原供述者に対する反対尋問の機会を与えてもらいたい旨述べたうえ同意したが、その後弁護人が被告人八木の人権保障と本件の実体的真実発見のため必要な証人を申請したのに、原裁判所はこれを全部却下して審理不尽のまま判決をしたもので、右は証拠採否の健全な裁量の枠を著しく逸脱し、刑訴法一条、憲法三七条二項の法意に反するから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで、記録を調査して検討すると、原審が第一回公判期日において検察官請求の甲・乙の書証を被告人側の全部同意のもとに取調べを了し、第二乃至第五回公判期日にかけて被告人三名の被告人質問をしたが、弁護人の証人尋問請求については、後日被告人八木の親族二名を証人として採用取調べをしたものの、その余の南薗正道・西畑弘夫・永田むつ子・竹本進・矢田信秋・尾口八郎・下舘勝治の各尋問請求についてはいずれも必要がないとして却下したこと、右のうち南薗・矢田・尾口・下舘は、検察官請求の取調べ済み供述調書の原供述者であること、弁護人請求の証人尋問の立証趣旨は、被告人八木の税務申告についての知識・経験・本件において果した役割・相被告人本橋へ話を取り次いだ経緯・内容・税務署における申告時の状況、脱税報酬の分配等であることがそれぞれ認められる。右によれば立証趣意に照らし弁護人請求の証人尋問をするまでもなく、すでに取調べた証拠によって被告人八木の刑事責任の存否及びその刑の量定に必要な諸般の情状について十分心証を形成することができたものと認められるから、原裁判所がこれと同一見解のもとに弁護人申請の右各証人の取調べの必要性はないものとして却下したのは、なんら証拠採否についての裁判所の裁量の枠を逸脱したものではなく、審理不尽にもあたらない。憲法三七条二項は、裁判所が必要と認めて尋問を許した証人について規定したもので、被告人側から請求された証人はすべてこれを取調べなければならないという趣旨を定めたものではないから、原裁判所が、すでに取調べた証拠から十分に心証を形成することができたと認められる以上、弁護人申請の証人の取調べをせずこれを却下しても刑訴法一条・憲法三七条二項に違反するものではない。したがって、原判決には所論のような訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。

被告人本橋に関する控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、(一) 被告人樋口が東村山税務署に保証債務を履行した場合の税務申告について相談をし、右相談結果に従って指摘された書類を用意し、同税務署担当官にこれらの書類に基づく被告人本橋の昭和五六年分の確定申告手続を相談したところ、これを受けた担当官が所得税法六四条二項に該当しないことが歴然としているのに、これを看過して、同条に該当するものとして所得税確定申告書を作成したため結果的に過少申告となったもので、被告人樋口の所為は、原判決が認定した虚偽の所得税確定申告書を提出した事実に該当しない、(二)本件申告は、被告人本橋の意思に反し、被告人八木及び同樋口らによってなされたものであり、被告人本橋には被告人八木、同樋口と共同して本件申告を不正に行おうとの認識はなかったから共謀関係は成立しない、(三)被告人本橋には不正に税を免れようとの犯意はなかった、したがって、本件につき、被告人本橋にほ脱罪の犯意・共謀を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査して、以下検討する。

一  原判決挙示の関係証拠によれば、被告人八木は、昭和五七年二月一七日東村山税務署長宛日本友愛事業団・同和友愛連合会顧問山田義雄名で、「当会員の確定申告について近日中に当会の者を差し向けますので御指導等を願う」旨の書簡を送りつけたうえ、同月二二日午前、被告人樋口、中川博己、南薗正道らに対し、同税務署に赴き、保証債務を弁済した場合にその分を所得から控除することができることの確認及びそのための申告手続に必要な書類につき担当官に確かめて来るよう指示したこと、これを受けた被告人樋口らは、同税務署に赴き担当官らに面会し、同被告人が右同和団体の会長樋口直志名義の、南薗が常任理事間大輔名義の名刺を手渡したうえ、「うちの会員の本橋さんが田無市に土地を売った金で保証債務を履行したが、求償権が行使できなくて困っている。保証債務分は税金を安くしてやっていいのではないか。」と切り出し、同担当官が所得税の本を持ち出し、条文をひいて所得税法六四条二項による特例があり、これに該当すれば不動産譲渡所得から保証債務を支払った分を控除することができる旨並びにこの特例を受けようとする場合には、申告書とともに金銭消費貸借契約書、保証債務を弁済したことを明らかにする書類及び求償権が行使できないことを証明する書類等を提出する必要があるとの説明をしたこと、被告人樋口は直ちに被告人八木の事務所に戻りその旨の報告を同被告人にし、同被告人は右中川博己らに対し急いで右必要書類を作成するよう指示し、同人らは貸主をアコスインターナショナル株式会社、主たる債務者をすでに事実上倒産し右中川が代表取締役となっていた島田電器工業株式会社、連帯保証人を被告人本橋とする金額三億五〇〇〇万円の金銭消費貸借契約証書や、アコスインターナショナル株式会社が昭和五六年一二月二〇日被告人本橋から金額二億四〇〇〇万円の弁済を受けた旨の領収書などを各作成したが、右金銭消費貸借契約書の作成にあたり右中川は契約締結日及び元本返済日について適当に日付を考えて、前者を同年一〇月一九日・後者を同年一二月一五日と記入して完成させ、さらにこれらの書類に基づき「保証債務の履行のための資産の譲渡に関する計算明細書」を作成したこと、被告人八木は右の必要書類が整うや、その日の午後被告人樋口らに右各書類を持参して同日中に被告人本橋の確定申告手続及び納税を済ませて来るよう指示し、被告人樋口らは再び同税務署に赴いて担当官らに会い、右各書類を提出のうえ、「今日、納税まで済ませるから早くしてくれ。税額計算はあんた達の方でやってくれ。」と言って、同担当官をして右各書類や被告人樋口の説明に基づき必要な計算と申告書用紙への数字を記入させて、これに同被告人が被告人本橋の住所・氏名・職業等を記入し被告人八木から預かっていた被告人本橋の認印を押捺して同被告人の昭和五六年度分の所得税確定申告書を完成し、これを同税務署長に提出したことがそれぞれ認められる。右事実関係によれば、被告人樋口らと東村山税務署の担当官らとの折衝の内容は、所得税法六四条二項の特例とこれが適用を受けるための必要書類についての説明及び被告人樋口らの要望による税額の計算と部分的な代筆作業であって、担当官らが誤った税務指導をしたというような事実は認められない。

弁護人は、原判決が理由中で、東村山税務署の担当係官が、被告人八木及び被告人樋口等の意図に従い、その求めに応じ、ただ機械的に申告税額を計算し記入しただけである旨認定している点は、証拠を欠き理由不備のそしりを免れないと論難するのであるが、被告人樋口、中川博己、南薗正道の検察官に対する欠く供述調書によれば、被告人樋口らが担当官に対し前記の書類を提出したほか、被告人八木からあらかじめ被告人本橋の板金業や不動産収入・経費等について聞き取りメモ書きしたものを持参して行き、担当官にそれらを告げ、社会保険料控除額等は前年と同額であると説明して昭和五五年度の確定申告書の記載から移記させるなどして申告書用紙への数額の記入と税額の計算をさせたことが明らかであって、所論の非難は当たらない。担当官は、申告者側から提供された資料・陳述に基づき、その求めにより税額を計算し申告書用紙に記入していたのであり、申告者側が虚偽の資料を提出したり陳述したりしたために内容虚偽の申告書が作成されたときは、申告者側においてその責任を負うべきであって、担当官に責任を転嫁することは許されない。

そしてまた、被告人樋口らの提出した金銭消費貸借契約証書の日付や「保証債務の履行のための資産の譲渡に関する計算明細書」の内容をみれば、所得税法六四条二項の特例の適用を受けるための資料としては不十分なものであることを容易に発見することができたのにかかわらず、これを看過してしまった担当官の対応の仕方には問題があるけれども、そのことは、被告人らの虚偽の資料を添付した虚偽過少申告行為の違法性を消滅せしめるものとはならない。

二  弁護人は、尾口八郎・上原良雄・河上弘次・下舘勝治の検察官に対する各供述調書における供述は、検察官の訴追しないとの利益誘導に基づくもので信用性がないと主張するが、右各供述調書は同意され異議なく取調べられており、その他記録を検討してみても利益誘導により虚偽の事実を供述する等信用性に疑問を差し挾まざるを得ないような事情はなんら窺えない。これら供述調書を含め原判決挙示の関係証拠によれば、被告人本橋は昭和五六年一月八日田無市土地開発公社に所有地を二億九九四二万円余りで売却したが、同公社の担当者や被告人本橋の不動産を管理していた尾口八郎から右土地譲渡所得税が約一億二〇〇〇万円にも達する旨を聞いていたこと、翌年二月にかけて尾口から同和団体に申告手続を依頼すれば税金が安くなる旨聞いたが、それだけでは満足せず、右尾口に対し、被告人本橋方の顧問税理士事務所の事務員であった上原良雄を同道してさらに詳しく話を聞いて来るとともに右上原の意見をも徴してもらいたい旨依頼したこと、これを受けた右尾口は、同月一九日ころ、右上原・河上弘次・下舘勝治とともに被告人八木に会い、税金を安くする方法を尋ね、同人から被告人本橋が赤字会社の負債を保証したことにして同被告人が売った土地代金でその債務を支払ったことにすれば、その分を土地譲渡所得から控除することができ、税金を安くすることができる、納税分を含め七〇〇〇万円の報酬で、必要書類の作成から申告手続まで一切を請負うとの説明を受け、同日夜右河上とともに被告人本橋と会い、被告人八木から聞いた脱税の方法・報酬等につき報告し、被告人本橋はこれを了解のうえ被告人八木らに脱税を依頼する旨右尾口に告げ、同人は翌二〇日被告人八木に会い被告人本橋の意思を伝えたこと、被告人八木は、同月二二日被告人樋口らに架空の連帯保証債務に関する金銭消費貸借契約証書や領収書等を東村山税務署に持参させ、本件確定申告及び納税の手続を行わせたこと、翌二三日被告人本橋はこれに対する報酬七〇〇〇万円を被告人八木に支払ったことをそれぞれ認めることができ、被告人本橋及び同八木の原審公判廷における供述中右認定に反する部分は、同被告人らの検察官に対する各供述調書並びに尾口八郎・上原良雄・河上弘次・下舘勝治の検察官に対する各供述調書に照らし、措信できない。右によれば、被告人本橋に原判示のほ脱の犯意及び被告人八木らとの共謀があったことは明らかである。

三  以上、原判決には所論の事実誤認及び法令適用の誤りは認められない。論旨は理由がない。

被告人八木に関する控訴趣意第二点(事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、(一)本件で被告人本橋につき計上された保証債務は、同被告人が売却した土地の譲渡日である昭和五六年一月八日(代金決済日同月一四日)から九か月以上も後である同年一〇月一九日に成立したものとされていたのであり、被告人らはすでに成立している保証債務を履行するために土地を譲渡したように仮装したことも、そのような方法によって税を免れることの共謀もしていないから、被告人八木につき刑法六〇条・六五条一項の適用される余地はない、(二)東村山税務署担当官は、被告人八木らが提出する保証債務関係の書類が虚偽のものであることを承知のうえでその提出を要求し、被告人八木は同税務署担当官が教えてくれた通りの必要関係書類を持って行けば犯罪にならないと考えていたのであって、被告人八木には本件について犯意がないか、あったとしても犯意が著しく希薄になっていて未必的なものであった、(三)本件においては、土地を譲渡した後に生じた保証債務を土地の売買代金で支払をしたとして所得税法六四条二項によりその支払分を土地譲渡所得から控除して確定申告をしたことになるところ、そもそも右のような事実関係のもとでは同法条の要件を充足せず土地譲渡所得からその債務支払額を差し引くことはできないから不能犯である、かつまた税務署の担当官は、同法条に該当しないことを見破っていながら、あえて本件確定申告書を受理してしまったのであるから、被告人八木らの本件ほ脱行為は未遂でありほ脱を遂げたことにはならないというべきである、したがって、本件につき、被告人八木にほ脱犯の犯意を認めたうえ、原判示の内容の共謀をし、それに基づき虚偽過少申告をしてほ脱を遂げたと認定して法令を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、記録を調査して、以下順次検討する。

一  原判決挙示の関係証拠によれば、被告人樋口は、かねて日本友愛事業団・同和友愛連合会々長を名乗って他人の納税手続きに介入して報酬を得ていたが、その過程で保証債務を履行するために土地を売却し、求償権の行使ができない場合には、その分を所得から控除することができることを知るようになり、そのような方法で税金が安くなるよう税務署に掛け合ったことがあり、被告人八木に対し、この経験を例にあげて説明し、税金を安くしたい人があれば紹介してほしい旨及び同和団体の名前を出すと税務署と折衝するときに無理がきくので、前記同和団体の最高顧問に就いてもらいたい旨を要請したこと、被告人八木もこれを承諾し、昭和五六年一〇月ころから被告人八木と同樋口は共同して他人の税務申告等につき報酬を得て税務署と折衝するなどの活動をするようになり、本件もその一環として行われたものであること、被告人八木が同本橋に対し、尾口八郎らを介入して、本件脱税の方法を説明したうえで、本件申告手続を請負ったことや、昭和五七年二月二二日の東村山税務署における折衝及び金銭勝訴貸借契約証書等必要書類の作成過程については、被告人本橋に関する控訴趣意第一点について認定したとおりの事実関係であり、ことに、被告人八木の指示で同税務署担当官に会った被告人樋口は、担当官に対し、「うちの会員の本橋さんが田無市に土地を売った金で保証債務を履行したが、求償権が行使できなくて困っている。保証債務分は税金を安くしてやっていいのではないか。」と言って、担当官から所得税法六四条二項の特例の存在とその適用を受けるための必要書類について説明を受け、その旨を被告人八木に報告したこと、被告人八木は、この報告を聞いて、右特例の適用を受けるため、被告人樋口が担当官から聞いて来た必要書類を急いで作るよう指示して、中川博己らに金銭消費貸借契約証書等を作成させ、これらを被告人樋口らに同税務署へ持参のうえ確定申告書を作成させこれを同税務署に提出させたことがそれぞれ認められる。そして、被告人樋口は検察官に対する昭和六〇年一〇月一五日付供述調書において、金銭消費貸借契約証書等の日付までは確認しなかったので、保証債務成立の日が土地売買の日より後の日付となっていることは知らなかった、これを知っていれば、いくら私でも税務署に持って行かなかった、税務署の人もそれに気付かずに受理してくれたのだと思う、と供述している。これらを総合すると、被告人八木及び同樋口は、被告人本橋の昭和五六年度中の土地譲渡所得に関し、同被告人に架空の連帯保証債務を計上するとともに、その履行のために右土地を売却処分して、その土地譲渡代金で履行し、かつ、その履行に伴う求償権の行使ができなくなったかのごとく仮装するなどの方法により所得を秘匿したうえ、虚偽過少の確定申告書を作成して税務署に提出し同年度分の所得税をほ脱しようと共謀し、同法条の特例の適用を受けるものとして税額計算した確定申告書を作成して東村山税務署に提出したことが明らかである。そして、被告人本橋が尾口八郎らを介して被告人八木から聞いた脱税の具体的方法は、被告人本橋の控訴趣意第一点の二について認定したように、同被告人が赤字会社の負債を保証したことにしたうえ同被告人が売った土地代金でその債務を支払ったことにすれば、その分を土地譲渡所得から控除することができるという程度であったが、その際、そのための必要書類の作成から申告手続・納税まで一切を七〇〇〇万円で請負うという説明を受け、これを了解のうえ被告人八木に脱税を依頼したのであって、どのような書類を作成するか、保証債務の成立の日をいつにするかなどは一切一任されていたものと認められ、前記被告人八木及び同樋口らが実行していたところは、被告人本橋の委任の範囲内の行為であることは勿論、被告人本橋と同八木との間の右共謀内容をより具体化した共謀を被告人八木と同樋口との間でなし、それを実行に移したにすぎないと認められる。そして、右にみたように被告人本橋・同八木・同樋口と順次かつ具体化されて来た共謀を経て、それに基づき実行行為が行われた場合に、その実行行為について被告人ら三名に共謀があり、それに基づく行為であると認定判示することに問題はなく、事実誤認にあたるとはいえない。

なるほど、被告人らが東村山税務署に提出した被告人本橋の昭和五六年度の所得税確定申告書には、特例適用条文として所得税法六四条二項が掲記され、それに基づき税額が算出されて申告が行われているところ、その疎明資料として提出された金銭消費貸借契約証書・土地買取証明書やこれに基づき作成された「保証債務の履行のための資産の譲渡に関する計算明細書」・「譲渡所得計算明細書」の各書面上からは、計上されている保証債務の成立は土地の譲渡後のものとなり、同法条の特例の適用は受けられないものであった。しかしながら、文書に記載される日付は必ずしも実体通り記載されるとは限らず、なんらかの事情で遡及されたりくり延べられたりすることも一般的にあり得ることであり、実際は書面上の記載とは異なって保証債務の成立が土地譲渡前であり、右保証債務の履行のために土地を売却したと主張・立証できないわけではなく、本件のように確定申告書の記載と疎明資料にくいちがいがある場合には、いずれが実体であるかについて調査検討されることとなるだけであって、日付が矛盾することだけから共謀が成立しないなどと結論づけることはできない。本件のように申告者らにおいて架空のものであることを認識しつつ保証債務を計上し、それを土地譲渡代金で履行したが求償権の行使ができないものと偽り、その履行分を土地譲渡所得から控除して税額を算出し過少申告した以上、虚偽過少申告ほ脱犯が成立するものといわざるを得ないのであって、被告人八木らの共謀及び実行行為について原判決に事実誤認は認められないから、原判示の事実につき、被告人八木に対し刑法六〇条、六五条を適用したことに法令適用の誤りはない。

二  前記のとおり、東村山税務署担当官は、被告人樋口から尋ねられて所得税法六四条二項の特例の存在と、この特例の適用を受けるために必要な書類について説明したにすぎず、本件記録を調べても、被告人らが提出する保証債務関係の書類が虚偽のものであることを承知しながら、これらの提出を要求したという事実を窺わしめるものはない。被告人らが担当官から説明された必要関係書類を作成し、これを税務署に提出したものであるにしても、被告人らにことさらに内容虚偽の過少申告をなすことにより税を免れることの認識があったことが認められる以上、虚偽過少申告ほ脱犯の犯意として十分であり、被告人八木に本件ほ脱犯の犯行について犯意がなかったとか、未必的犯意にとどまるとかいうことはできない。

三  さらに、被告人らが所得税法六四条二項の特例の適用を受け得る実体がないことを認識しながら、架空の連帯保証債務を計上し、その履行のために土地を譲渡し、その履行により生じた求償権の行使ができないものと仮装したうえ同法条の適用を受け得るものとして税額計算をし、所得税額を過少に算定してその旨の確定申告書を作成して税務署に提出した以上、法定納期限の経過とともに本件ほ脱犯は既遂に達するから、所論の不能犯ないしはほ脱の未遂にとどまるとの主張は、いずれも採用できない。

被告人本橋に関する控訴趣意第二点、被告人樋口に関する控訴趣意及び被告人八木に関する控訴趣意第三点(いずれも量刑不当の主張)について

被告人本橋に関する所論は、原判決の量刑は、他の共犯者の刑との衡平を欠き、著しく過酷で重過ぎて不当である、というのであり、被告人樋口、同八木に関する各所論は、いずれも同被告人らに対する原判決の量刑は、刑の執行を猶予しなかった点で重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、本件は、昭和五六年中に土地を田無市土地開発公社に売却した被告人本橋の同年分の土地譲渡所得に関し、被告人ら三名が共謀のうえ、所得税法六四条二項の規定を悪用し、被告人本橋に架空の連帯保証債務を計上するとともに、その履行のために右土地を譲渡し、かつ、その履行に伴う求償権の行使ができなくなったように仮装するなどの方法により所得を秘匿したうえ、虚偽過少申告を行い、同被告人の同年分の所得税七六五三万円を免れたというものであり、そのほ脱額が大きく、ほ脱率も九七・一パーセントと高率であること、虚偽の金銭消費貸借契約証書・領収書等を作成して所轄税務署に提出し、かつ同署担当官らに対し、同和団体の幹部を名乗り、その組織的勢威を示して折衝するなど犯行手段・態様が計画的・大胆・巧妙であることなどを総合すると、本件犯行自体甚だ悪質であるといわざるを得ない。

被告人らの弁護人は、東村山税務署担当官の対応の仕方や本件確定申告書の審査を十分尽くさなかった点を強く非難し、この点を量刑にあたって考慮すべきであると主張するところ、なるほど担当官が冷静な状態で審査していれば、被告人本橋の本件確定申告書と提出された疎明資料や各計算明細書との対比により本件が所得税法六四条二項の特例を受け得る事案であるかにつき疑念が生じ、さらに事実を究明するため調査の必要性が生ずることにはなるが、申告者側が提出しようとする確定申告書の受理を拒絶する権限はないのみならず、税務署側の対応・審査につき所論の指摘する問題を惹起させた原因は、被告人側が同和団体の勢威を示しつつ、申告手続を急がせたことによる面が大きく、弁護人らが指摘する点は情状として特に斟酌することはできない。被告人八木の弁護人はまた、本件がほ脱犯の規模としては比較的小規模であり、実際の量刑例としても一億円以下の脱税が実刑になった事例は稀であると主張するが、所得税七六五三万円の脱税が小規模であるとはいい難いのみならず、脱税額のみならず、犯行の手段・態様の悪質性の程度もまた量刑の重要な要素であるとともに、自己の税金を免れようとする者と、報酬を得ることを目的として他人の税金につき脱税を請負う者とを対比するとき、後者が社会的により強く非難されるべきであって、弁護人の指摘する事例は前者に関する事例であって、後者に関する事例ではなく、両者を量刑上同一に取扱うことは妥当ではない。

つぎに、各被告人の個別的情状を検討するに、被告人八木は、同和団体の最高顧問を名乗り、報酬を得て他人の納税手段や税務調査の立合をするなどの活動をしていたものであること、本件は同被告人の事務所に出入していた不動産業者らに、報酬を支払うので脱税依頼者を紹介してもらいたい旨頼んでいたところ、下舘勝治らを介して、被告人本橋のことを聞き及び、仲介人らを通じて再三同人に対し納税手続をまかせるよう勧誘した末本件犯行に至ったものであること、右勧誘の際、被告人八木は、脱税の方法として赤字会社の債務を保証し土地を売却した代金でその支払をしたことにすれば、税金を安くすることができると告げるとともに、普通の人がそのようなやり方をしても税務署の調査ですぐひっかかってしまうが、同和団体が納税者に代って申告手続を行い、税務署に圧力をかけて交渉すればうまく行くなどと強調し、被告人樋口らを同和団体の幹部として東村山税務署に派遣して申告手続を行わせるなど、本件において被告人八木は主導的地位にあって、積極的に本件を推進していること、被告人八木は脱税請負側として被告人本橋から納税額を含め報酬として七〇〇〇万円を受領し、納税資金分及び仲介人らへの手数料を除いた六〇〇〇万円について、被告人八木の一存で配分・使用しているところ、被告人樋口・中川博己・南薗正道らへ直接配分した報酬は各一〇〇万円にとどまり、被告人八木が関係者中最も多額の報酬を利得していること、被告人八木には、業務上過失傷害罪等の罰金刑前科二犯のほか、昭和五六年九月有価証券偽造・同行使・詐欺の各罪で懲役三年、執行猶予四年に処せられた前科があり、本件は右刑の執行猶予期間中の犯行であることなどを総合すると、被告人八木に本件手口や同和団体を名乗って税務署と交渉する方法を教えたのは被告人樋口であること、被告人八木が原判決前に被告人本橋から受領した報酬のうち一〇〇〇万円を同被告人に返還していること、被告人八木の反省・謹慎、家庭の事情、本件に関与した他の者らに対する処分との権衡、その他所論の指摘する被告人八木のため酌むべき情状を最大限考慮してみても、懲役刑につき刑の執行を猶予するのを相当とするまでの情状は認められず、被告人八木を懲役一〇月に処した原判決の量刑はその時点においては重過ぎて不当であるとは認められない。

被告人樋口は、同和団体の会長を名乗り、報酬を得て他人の納税・建築関係につき官庁等との折衝を請負う活動をしていたものであるが、その間、本件の犯行手口や同和団体を名乗って活動すれば無理がきくことを知るに至り、これら方法を被告人八木に説明して脱税依頼者があれば引き受ける旨を告げるとともに、被告人樋口が会長をしている同和団体の最高顧問へ就くことを要請し、昭和五六年一〇月ころからは被告人八木と共同して活動するようになって本件に至ったもので、本件犯行の手口・手段は被告人樋口の知識・経験に基づく面が大きいこと、被告人樋口は、中川博己らとともに東村山税務署へ赴き、同和団体の幹部を名乗って被告人本橋の本件所得税申告手続につき担当官と折衝したが、その際被告人樋口が中心的役割を果すなど、本件において被告人八木についで主導的立場にあったこと、本件により被告人八木から一〇〇万円を受領したほか、同人と仲違いした後に本件仲介者らに執拗に金を要求して一五〇万円を受領し、うち五〇万円を利得していること、被告人には業務上過失傷害罪で罰金刑に処せられた前科二犯があるほか、(1)昭和五五年五月道路交通法違反・私文書偽造の各罪で、懲役六月、執行猶予二年に処せられた前科と、(2)昭和五九年二月一九日(確定同年三月六日)、福島地方裁判所において、詐欺罪で懲役一〇月、執行猶予三年に処せられた前科があり、本件は右(1)の刑の執行猶予期間中で、かつ、(2)の刑の判決言渡後わずか三日後の犯行であり、いわゆる余罪にあたるものであることなどを総合すると、被告人樋口は被告人八木の指示により行動したもので、金銭消費貸借契約証書等提出書面の作成や脱税報酬の受領には関与していないこと、本件により被告人八木から受領したのは一〇〇万円であり、利得額に大きな差があること、被告人樋口が受領した利得金一五〇万円については、原審当時において被告人本橋へ返還する旨約した示談を同被告人との間で成立させ、原判決言渡後これを支払って履行していること、被告人樋口が反省の情を示していること、昭和五九年一〇月以降は、展示会の設営等を業とする会社の代表者として正業に就いており、同社において枢要な立場にあること、養育すべき内縁の妻や子供がいることなどの家庭の事情、被告人八木ら本件関与者らに対する処分との権衡、その他所論の指摘する被告人樋口のため酌むべき情状を最大限考慮に入れても、懲役刑につき刑の執行を猶予するのを相当とするまでの情状は認められず、被告人樋口を懲役七月に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

(なお、本件は、前記(2)の確定裁判のあった詐欺罪と刑法四五条後段の併合罪であったから、同条文と、同法五〇条を法令適用において摘示すべきであり、原判決の法令適用には、被告人樋口につき右各条文を脱漏した違法があるが、右誤りは処断刑の範囲にはなんら差を来さないので、判決に影響を及ぼさないことがあきらかである。)

被告人本橋は、本件ほ脱犯の主体であり、被告人八木の再三の勧誘によるものとはいえ、当時正規の土地譲渡所得税が一億二〇〇〇万円と思っていたところを、七〇〇〇万円でその脱税を依頼したものであること、実際のほ脱額も七六五三万円の高額であること、架空の保証債務の計上等ほ脱の具体的手段と同和団体の勢威を利用し、税務署に圧力をかけて虚偽過少申告手続をすることを了解したうえ本件ほ脱を依頼したことなどを総合すると、被告人本橋が被告人八木、同樋口及び仲介人らの報酬や手数料稼ぎに利用された面があること、すでに修正申告をして、本税・延滞税・重加算税を納付済みであること、前科前歴はなく、これまで真面目に生活して来たものであること、反省の情を示していること、他の共犯者や本件関与者らに対する処分との権衡、その他所論の指摘する点を考慮に入れてみても、被告人本橋を懲役一年及び罰金二〇〇〇万円(ほ脱税額に対する罰金額の割合は二六パーセント。)に処し、懲役刑については二年間執行を猶予した原判決が重過ぎて不当であるとは認められない。弁護人は、被告人八木、同樋口らに科せられた刑と被告人本橋に科せられた刑につき各懲役刑の刑期の長短を比較し、同被告人の量刑は重過ぎるというが、執行猶予等を含め、全体的・実質的見地から判断すると、被告人本橋に対する刑が他の共犯者に科せられた刑と権衡を失するものとは認められない。論旨は理由がない。

ところで、当審における事実取調べの結果によると、被告人八木において、原判決言渡後家屋を処分して金を作り、被告人本橋に対し五〇〇〇万円を返還した事実が認められ、前記のように被告人八木は原審で一〇〇〇万円を被告人本橋に返還済みであるから被告人八木が被告人本橋から受領した金は、納税資金分等を除き全額返還されたことになり、このことをも併せ考慮するとき、いまだ被告人八木に対し刑の執行を猶予するのを相当とするまでの情状が形成されたとはいえないが、その刑期を軽減するのが相当であり、原判決を破棄しなければ明らかに正義に反するものと認められる。

よって、被告人八木につき、刑訴法三九七条二項により原判決中被告人八木に関する部分を破棄は、同法四〇〇条但書により被告事件について判決することとし、原判決の認定した事実に、原判決の掲げる法令(刑種の選択を含む)を適用して、その刑期の範囲内で被告人八木を懲役八月に処し、被告人本橋及び被告人樋口については、刑訴法三九六条により、同被告人らの本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 朝岡智幸 裁判官 小田健司)

○控訴趣意書

被告人 本橋謙治

右被告人に対する所得税法違反事件に対する弁護人の控訴の趣旨は、左記の通りである。

昭和六一年一一月一七日

弁護士 山本七治

東京高等裁判所刑事第一部 御中

第一 第一審判決は、次の通り重大な事実誤認がある。

第一点 本件申告は、東村山税務署担当係官等の誤った税務指導により申告書が作成された結果過少申告となったものである。

一 原審判決は、被告人本橋が、被告人八木惇光(以下被告人八木という)同樋口忠史(以下被告人樋口という)等と共謀の上、被告人本橋の昭和五六年分の所得税を免れようと企て、同被告人に架空の連帯保証債務を計上するとともに、その履行のために被告人本橋の所有土地を譲渡し、かつその履行に伴う求償権の行使ができなくなったかのごとく仮装するなどの方法により所得を秘匿した上、昭和五七年二月二二日虚偽の所得税確定申告書を提出し、不正の行為により同五六年分の正規の所得税額との差額七六五三万円を免れた旨認定し、被告人本橋に対して有罪の判決をなした。

二 被告人本橋の昭和五六年分所得税確定申告書は、被告人本橋が知らない間に被告人八木と同樋口が共謀し、被告人樋口が東村山税務署担当係官等と相談して同税務署担当係官に被告人本橋の昭和五六年分の所得税確定申告書を作成してもらい、被告人樋口が右申告書をそのま担当係官に提出したものであり、被告人本橋が本件所得税確定申告書を作成してこれを提出したものではない。

三 本件申告手続終了までの事実経緯は、次の通りである。

昭和五七年二月一七日被告人八木は、東村山税務署長宛日本友愛事業団体、同和友愛連合会顧問山田義雄名で「当会員の確定申告について近日中に当会の者を差し向けますので御指導を願う。」旨の書簡を送った。「同和団体で正規に行った場合、そういう窓口があるものと聞いていましたので正式に行ったほうがいいんじゃないか。」ということで挨拶状を送った。(昭和六一年二月一四日第三回公判八木供述)即ち、被告人八木は、あらかじめ東村山税務署長宛に税務指導を仰ぐための挨拶状を発送し、昭和五七年二月二二日午前中被告人樋口、中川博己、南薗正道に指示して、東村山税務署に赴かせ、同被告人等は同税務署に於いて、敷田強総務課長、同署所得税第一部門統括国税調査官伊藤始男、同資産税第一部門総括上席国税調査官角田博美、及び同資産税第一部門統括国税調査官西畑弘夫と面接し、右担当官等から被告人本橋の昭和五六年分所得税の確定申告の方法についての税務相談をなし、申告方法及び必要書類について、右担当官等から説明指導を受けた。右担当官等から説明指導を受けた被告人樋口等は、東京都渋谷区千駄ケ谷四丁目一番一三号所在の生協会館九階所在の被告人八木の事務所に引き返し、東村山税務署担当官等から税務指導を受けた内容を被告人八木に説明した。

被告人八木は、同日被告人樋口等から東村山税務署担当官からの説明を聞いた後、中川弘己や南薗正道等を指示して、貸主アコスインターナショナル株式会社と借主島田電気工業株式会社連帯保証人被告人本橋間の昭和五六年一〇月一九日附三五〇、〇〇〇万円也の金銭消費貸借契約書を作成し、被告人本橋からアコスインターナショナル株式会社が昭和五六年一二月二〇日、二四〇〇〇万円の弁済を現金で受けた旨の領収証を作成させ、島田電気工業株式会社の不渡手形、及び小切手、アコスインターナショナル株式会社と島田電気工業株式会社の代表取締役の印鑑証明書、島田電気工業株式会社の商業登記簿謄本、中川博己が作成したと思われる保証債務の履行の為の資産の譲渡に関する計算明細書等、東村山税務署担当係官等から指示された必要書類を準備し、同日午後三時頃被告人樋口等に右必要書類を持参させて再度東村山税務署に赴かせた。

東村山税務署では、被告人樋口等が午前中税務相談の為に面接した前記同一メンバーが、これに応対した。

被告人樋口は、応対した前記担当官に「必要書類を揃えて来ました。これでいいか良く検討して下さい。」と言って、午前中指示された被告人八木において準備した一切の書類を提示した。そして、右書類に基づいて被告人本橋の昭和五六年分の所得税確定申告書を作成してもらい、東村山税務署の担当官が作成した右申告書に被告人本橋の住所、氏名、職業及び電話番号を記入して被告人八木より預かっていた本橋の認印を押捺し、被告人本橋の昭和五六年分の所得税確定申告手続を終えたのである。

四 被告人樋口等が東村山税務署に提出した書類を一見すれば、本件申告が、所得税法第六四条二項に該当しないことは明白である。中川博己が作成したとみられる保証債務の履行のための資産譲渡に関する計算明細書をみても本件が右条項の適用を受けられないものであることは歴然としているのである。

にも拘わらず、税の専門家である東村山税務署の担当官は、被告人本橋の昭和五六年分の申告書作成に際し、これを看過して、所得税法第六四条第二項に該当するものとして被告人本橋の昭和五六年分の所得税確定申告書を作成した。

被告人樋口は、持参した書類に基づき、右条項が適用されるかどうかに関しては全く解らないので、これは、担当官の判断に任した旨供述しており、東村山税務署の担当官が作成した申告書に被告人本橋の住所氏名を記入して認印を押捺した旨供述している。(昭和六一年三月一〇日第四回公判調書)

被告人樋口は、昭和五七年二月二二日午前中、東村山税務署に右保証債務を履行した場合の税務申告内容の相談をなし、右相談結果に基づいて、同日午後指摘された書類を携えて東村山税務署担当官にこれ等の書類に基づく被告人本橋の昭和五六年分の確定申告の手続を相談したのである。そして、右相談を受けた担当官が誤って本件申告書を作成したものであるから、被告人樋口の前記所為は、原審判決が認定した虚偽の所得税確定申告書を提出したとの事実に該当しないのである。

本件は、被告人本橋の所轄税務署である東村山税務署の担当官が、誤った税務指導をなしたために、被告人本橋がほ脱をした結果を惹起したものである。

五 原審判決は、(争点に対する判断の)理由中で、右事実を認定しながら「被告人樋口等が税務署担当官等に提出した書類に矛盾があること」「所得税法第六四条第二項の特例の適用を受けるための資料が不充分なものであること」「資料の検討を慎重に行なわなかったこと」等に所轄税務署担当官等の対応に問題がないわけでなかったことの事情を認定しながら、「書類が不備であったのは、虚偽の書類を作成した被告人八木等の単純な計算間違いにすきず、また担当係官の作業も、被告人八木及び被告人樋口等の意図に従い、その求めに応じ、ただ機械的に申告税額を計算し記入しただけであって誤った税務指導の結果過少申告となったとは言えないことは明らかである。」として被告人本橋の主張を排斥した。

然し、本件申告に関し、被告人樋口は、原審判決が指摘するが如き「同和の組織の威を借り、高圧的態度をとった」ことはなく、本件は極めて紳士的な対応に終始したことがうかがわれ、原審判決が指摘しているが如き、被告人樋口等が所轄担当官等に高圧的であったとの証拠は見当たらない。

又、書類の不備についても被告人八木等が単純な間違いをしたとの証拠はなく、被告人樋口は、被告人八木等が作成した書類から被告人本橋の昭和五六年分の所得税の確定申告をどの様にしたらいいか所轄税務署の担当係官に相談しているのである。(昭和六一年二月一四日被告人八木の第三回公判調書)更に原審判決は、東村山税務署の担当係官が、被告人八木、及び被告人樋口等の意図に従い、その求めに応じ、ただ機械的に申告税額を計算し記入しただけである旨認定しているが、東村山税務署の担当係官が右の認定通りの記入をしたかどうかについて原審判示の証拠はなんら存在しないのである。

むしろ、原審は、被告人本橋の弁護人及び被告人八木の弁護人の申請に係る東村山税務署担当係官の証人申請を却下し、所轄税務署担当係官の誤った対応を指摘しながら右担当係官の誤った税務指導を不問にし、被告人本橋に対し有罪の認定をなしたのである。

右の次第で原審判決は、東村山税務署担当係官の誤った税務指導の事実を誤認したものであり、「被告人八木及び被告人樋口等の意図に従い、その求めに応じ、ただ機械的に申告税額を計算し記入しただけである。」との認定は、証拠を欠き理由不備のそしりを免れない。

第二点 本件申告は、被告人本橋の意思に反し、被告人八木、及び被告人樋口等によって為されたものであり、被告人本橋には、被告人八木、及び被告人樋口と本件申告を不正に行う共同行為の認識がない。

一 原審判決は、その理由中に於いて、被告人本橋が被告人八木、及び被告人樋口等と共謀し被告人本橋の昭和五六年分の所得税を免れようと企て・・・被告人本橋に架空の連帯保証債務を計上するとともに、その履行のために土地を譲渡し、かつ、その履行に伴う求償権の行使ができなくなったかの如く仮装する等の不正行為をなした旨認定した。

二 被告人本橋は、被告人八木、及び同樋口とは一面識もなく、又直接右両被告人と応対した事実もなければ意思を確認した事実もない。

被告人八木の意思は、下館勝治、河上弘次に伝達され、更に上原良雄、尾口八郎に伝達されて、右尾口、上原両名から被告人本橋に誤った形で伝えられて、尾口から被告人八木に被告人本橋の意思に反する内容で伝達され、被告人八木の意を体した被告人樋口によって実行されたものである。

被告人八木の当初の意思は、被告人本橋の昭和五六年分の所得税の確定申告手続を代行することにより一〇〇〇万円位の報酬を得ようということであり、被告人樋口を利用して同和団体の圧力の下に、所轄税務署である東村山税務署の担当係官と接渉させて六阡万円位の税額に減額させることにあったと思われる。(昭和六一年四月九日八木惇光第五回公判調書)そして、下館勝治、河上弘次に働きかけて、同和団体が申告手続をすると税務署は、その圧力で税金を安くしてくれる。被告人本橋に五六年分の確定申告を同和にやらせるようにと働きかけ、これを聞いた河上弘次が被告人本橋の差配等をやっている尾口八郎に働きかけ、尾口から被告人本橋に同和団体に申告手続を代行する様働きかけられた。尾口八郎より被告人本橋に伝えられた内容は、同和団体は、国の保護を受けており、同和団体に寄附することにより同和団体が申告手続を代行し、特別の処置がなされること、右申告手続には、被告人本橋側に於て立会の下にこれが行なわれる。税の専門家であり、被告人本橋の妻弘子の経営するセンチピートの顧問税理士である上原良雄からも同和団体にはその様な力があり、手続上問題がない等と説明されて、被告人本橋は、「経理士さんに行ってもらって、やってもらえば大丈夫だと思って返事した。」(昭和六〇年九月二六日附被告人本橋の検面調書)「上原経理士を頼んで被告人八木と上原計理士が立ち会って申告をする。」(昭和六一年一月二九日被告人本橋の第二回公判調書)というのでお願いする旨返事をしたのである。

被告人本橋の右意思は、尾口に伝達されたにも拘わらず何故か、尾口は、被告人本橋の右意思を被告人八木に伝達せず、無条件で被告人八木に任せる旨同意した如く伝えられたのである。「本橋さんのほうから、これをああしてくれ、こうしてくれとか具体的な依頼といいますか、そういうものは一切ありませんでしたから私どもが勝手に遣ったということになる。」「納付をしたかの確認をさせてくれということの問合せはあったかと記憶していますが、申告の立会等をさせてくれという申し出は受けてないと思います。」「上原税理士からも尾口さんからも申告内容についての質問は全くありません。」(昭和六一年四月九日八木惇光の第五回公判調書)

被告人八木の意思は、被告人本橋の昭和五六年分所得税の確定申告を納税額、方法等無条件で同和団体に任せるという形で七、〇〇〇万円で請負うという意思であり、当初は一、〇〇〇万円位の報酬を得ることを考えていたが、その後は、昭和五七年二月二二日の申告をするに際して、アコスインターナショナル株式会社と島田電気工業株式会社の金銭消費貸借に被告人本橋が連帯保証人となって保証債務を履行した虚偽の書類が作成され、被告人本橋の昭和五六年分の確定申告がなされたのである。被告人八木は、「これでいいんだねと言ったときに返事をもらっているけれども、それは本橋の返事ではなかった。」「それまで行き違いがいくつかあり、」「結局本橋さんと私との間がきちっとつながっていなかったということが、お金をもらうときにはっきりした。」(同第五回公判調書)と供述し、当時、被告人本橋の意思と、被告人八木の意思とが大きく食い違っていたことは認めている。

右の事実からすると、被告人八木、及び被告人樋口と被告人本橋の本件共謀関係は成り立たないのである。

即ち、被告人本橋は、同人の昭和五六年分の確定申告について、税の専門家である上原良雄を同和団体に立ち会わせ、右申告手続が税理士の監督の下に問題なく行われるものと考えて、被告人八木の勧誘する同和団体に申告手続を代行させようとしたのであり、被告人八木の前記意思とは全く異なっているのである。

従って、被告人樋口が昭和五七年二月二二日東村山税務署長宛被告人本橋の昭和五六年分の所得税確定申告書を提出し、納税額金二二七万八千円を納付した段階では、右申告手続は、被告人本橋の意思に添わない被告人八木と被告人樋口の一方的な行為であり、被告人本橋の知らない間に被告人樋口が被告人本橋の申告手続を一方的に代行したにすぎないのである。

問題は、被告人本橋が被告人八木等が一方的になした被告人本橋の昭和五六年分の前記不正申告を了承し、これを追認して被告人八木に七、〇〇〇万円の金員を支払ったかどうかである。

三 被告人本橋は、昭和五七年二月二二日夜、被告人八木等が被告人本橋の意思を無視して一方的に本件申告手続を為した事実を知らされた。

被告人本橋にしては、同被告人側の立会の下に申告手続が行われると思っていた矢先、既にこれが終わっているということは全く予想外のことであった。

そこで、被告人本橋は、翌二三日被告人八木等がなした本件申告が、間違いないものであるかどうか申告内容が所轄税務署に於て正当に認められるものかどうかを税理士だと思っていた上原良雄に依頼して東村山税務署に直接行って税理士の立場で確認してもらうことにした。上原良雄は、被告人本橋の右依頼を了承し、直接東村山税務署に行って、間違いのない内容であるかどうか確認することを承諾したのである。

ところが、被告人本橋の依頼を受けた上原良雄の行動は、依頼の趣旨と全くかけはなれたものであった。

二月二三日上原良雄は、直接東村山税務署に直行しないで、被告人八木の事務所に行っている。そして、これから税務署に行って確認してくる旨を告げ、これを聞いた被告人八木から「そんなことをする必要はない。東村山税務署総務課長に今から電話をかけ、確認すれば済むだろう。」と言われ、被告人八木が東村山税務署に電話し、同時受話器で被告人八木と電話の相手との会話を聞いただけで被告人本橋の依頼のあった確認は済んだとして、同席していた尾口に指示し、同人をして被告人本橋に電話させて、間違いなく手続が終了していることを伝えさせた。(上原良雄の昭和六〇年一〇月一日附検面調書)

被告人本橋の税務のプロである上原良雄に対する前記依頼は、被告人八木等が申告した申告書が所轄の東村山税務署に受付られているかどうかの外観上の確認を求めたものではない。

被告人本橋は、右申告内容が妥当なものであるかどうか、後日問題にされることがないものであるかどうかについて、プロの立場から検討してもらうことにあった。被告人本橋の右依頼の趣旨を充分知っていながら、上原良雄は、それの調査確認をせず、恰も自らがその内容を調査した如く装い尾口をして間違いなく受理されている旨被告人本橋に連絡させ、これを聞いた被告人本橋は、本件申告が被告人八木等に於て正当に所轄税務署である東村山税務署で認められたものとし、被告人八木等の本件申告を了承したのである。

四 原審判決は、被告人本橋の右主張に対し、理由中で「昭和五七年二月二二日の夜、尾口等が、申告手続が終ったとして、手数料等を支払うよう要求しに被告人本橋の自宅を訪れた際、同被告人において、承諾なく勝手に申告手続を行なった旨の言動はなく、むしろその承諾があったことを前提として納税が終わっているか否かについてのみ関心を有していたことが明らかである。」旨誤った認定をなした。

昭和五七年二月二二日の夜、尾口、上原、河上及び下館が被告人本橋宅に訪れ、その後、「下館さんと河上さんは一足先に帰りました。奥さんは二人が帰った頃から部屋に来ていました。」その際奥さんは、「どうして税金がそんなに安くなったんでしょうね。」「大丈夫なんですか。」(昭和六〇年一〇月四日附尾口八郎検面調書)と聞いたと云っている。又被告人の妻弘子は、被告人八木等が一方的になした本件申告内容に疑問を持ち、その際「どうして税金が安くなったのだろうということが話題になり」私が「どうしてでしょうね。」と上原良雄に尋ねた。(昭和六〇年一〇月五日附本橋弘子検面調書)と云っている。

右会話の内容から判断すると原審判示の被告人本橋は納税が終了しているか否かについてのみ関心を有していたということではなくて、むしろ被告人本橋としては、本件申告内容について重大な関心があり、具体的に申告内容を明確にし、その内容が所轄税務署に於て認められるものであるかどうかについて専門家である上原良雄の調査、確認を求めていた事情が窺われるものである。

上原経理士が立会って本件申告をするという被告人本橋の意思が無視され、被告人八木等が勝手に被告人本橋の知らない間に本件申告をしてしまった以上、被告人本橋がプロとしての立場から被告人八木等の本件申告の内容が正しいものであるかどうか調査確認を専門家である上原良雄に改めて依頼したのは当然といわねばならない。

ところが、被告人本橋が被告人八木に七、〇〇〇万円を支払う段階においても、被告人本橋の前記真意は上原良雄に無視され、被告人八木に伝達されないで、被告人八木に形式的に申告書や納付書が本物かどうかの確認だけがなされただけで「間違いなく手続が終了し、大丈夫です。」と誤った報告がなされたのである。

以上の観点からみると、被告人八木等と上原良雄、尾口八郎等との間には、原審判示の共謀の意思は確認されるけれども、被告人八木等の意思と被告人本橋の意思との間には、明らかな齟齬があり、被告人本橋が本件申告を被告人八木と共謀したと認定することはできないのである。それにも拘わらず原審判決は、右事実を看過し被告人八木等と被告人本橋の共謀の事実を認定するという重大な事実誤認をなしたのであり到底容認することができない。

第三点 被告人本橋には不正に税を免れようとの犯意は存在しない。

一 原審判決は、尾口八郎、河上弘次の検察官に対する各供述調書に基づき、被告人本橋が、尾口のいう河上から伝え聞いた話を納得せず、もっと詳しい内容の提供を求め、尾口は、被告人八木から赤字会社の負債を保証して土地を売った代金から債務を支払ったことにする旨の説明を受け、これをそのとおり被告人本橋に伝えたことが認められるとし、尾口等が、被告人八木の説明を聞きに行きながら、何故税金が安くなるのか、という点について報告をしなかったというのは甚だ不自然であるとして、被告人本橋の犯意を認定した。

二 尾口八郎は、被告人本橋の不動産管理を任され、同被告人がもっとも信頼していた者である。

上原良雄は、尾口八郎の従兄弟の関係から、尾口八郎に推挙されて被告人本橋の妻弘子及び同人の経営するセンチピートの顧問税理士として、税務会計等全般を任されていたものである。

尾口八郎や上原良雄が被告人八木と逢った経緯は、河上弘次が再三に亘り、被告人本橋の譲渡税を安くしてもらえる同和団体を紹介するとの話を被告人本橋に伝え、被告人本橋から具体的な内容を聞いて欲しいという依頼からである。

被告人本橋は、尾口に右のことを依頼する際、税の専門家である上原良雄と一緒に話を聞いて同人と相談して善処して欲しい旨依頼した。

そこで、尾口は、河上からの連絡を受けて、昭和五七年二月一九日上原良雄同道の上被告人八木と面談した。

尾口八郎の検面調書によると、尾口は、被告人八木から「赤字会社の連帯保証人となって負債を肩代わりして土地を売った代金から保証債務を弁済したことにすれば、税務処理上それが損金として控除される。」という様な話を聞き、上原に「ほんとうに譲渡所得税からその分が控除の対象になるのか」と聞いたら、「上原さんは、確かに控除対象になると云っておりました。」と供述し、始めて被告人八木から具体的方法を聞かされた如き供述をしている。(昭和六〇年一〇月四日附尾口八郎検面調書)ところが、上原良雄の供述調書によれば、「昭和五七年一月下旬から二月初旬頃東信興業の事務所に顔を出すと、尾口さんから連帯保証債務を履行する場合には、その分を譲渡所得から差引くことができますよね。」と云う質問を受けたので、「税法上そういうことはできます。」と答えた。(昭和六〇年一〇月一日附上原良雄の検面調書)と供述している。

河上弘次の検面調査によると、河上は、尾口、上原を被告人八木に紹介した昭和五七年二月一九日始めて八木から「例えば赤字会社の連帯保証人となって負債を肩代わりしたことにします。その場合、土地を売った代金から保証債務を弁済したことにすれば税務上損金として控除され、税金が安くなる。」ということを聞かされ、尾口は、上原に「本当にその様な制度が認められるのか。」と尋ねました。上原は「保証債務を負担してその債務を土地を売った代金から弁済すれば、控除の対象となりますよ。」と云っておりました。と尾口と符合する供述をし、被告人八木から始めて税金を安くする具体的な方法を聞いたような供述となっている。

これに対する上原の供述調書は、保証債務の履行について、尾口の質問を受けた同じ頃、「河上弘次さんからも同じようなことを聞かれたので、できる旨答えたことがありました。」となっている。

右上原の供述によれば、尾口、河上は、既に保証債務を計上することで被告人本橋の譲渡税を安くすることについて、具体的にその内容を熟知していたと考えられる。

それにも拘わらず、尾口は、被告人本橋に対しては、他人の保証債務の件については、なんらこれを告げず、単に「同和に頼めば税金を安くしてくれるらしい。」と抽象的な話しかしていない。

被告人本橋は、そのため経理士上原良雄を尾口に同道させて、上原に被告人八木から具体的にその内容を聞かせ、プロの立場からみて不当なものでないかどうか判断させようとしたのである。

ところが、被告人本橋の依頼により尾口と同道し、被告人八木にその具体的方法を聞いたはずの上原良雄は、その結果の報告を被告人本橋にせず、尾口、河上の検面調書によると、両名が同日午後八時頃被告人本橋宅に行き、「赤字会社の負債を保証被りして土地を売った代金から保証債務を弁済したことにして、それを損金として申告すると、譲渡所得税がその分控除されて安くなるそうです。上原さんも、所得税からその分控除されるという制度はあるそうです。」(尾口検面調書)「上原さんにも聞きましたが、確かに保証債務を負担して弁済したことにすれば、税金が安くなると言っていました。」(河上検面調書)旨報告したことになっている。

上原良雄は、当日被告人八木から「本橋さんが、架空の保証債務を負っていたことにし、その履行の為に土地を処分したという嘘の内容の申告書を作って税務署に提出し、税金を安くしようとしていることが分かりました。」「八木のほうでは、具体的に債権者債務者の名前も云わず、金額も云いませんでしたので、どのような保証債務を作りあげるかまでは分りませんでした。」「八木は、七、〇〇〇万円払って貰えばいいです。」と云っていた。「それがどういう話だったか良く覚えていません。」「尾口さんと河上さんは、八木の話の内容を本橋さんに説明に行くと云っていました。」が、私は一人で事務所に戻りました。(上原検面調書)となっており、二月一九日にほ脱の具体的な内容が被告人八木から説明されたことになっている。

上原良雄は、少なくともプロの経理士の立場から被告人本橋の依頼を受けて被告人八木と面談したものである以上、被告人八木からその供述通りの話を聞いたとすれば、架空債務の具体的内容、本橋が保証する債務額、被告人八木が被告人本橋に要求する七、〇〇〇万円の内容等、被告人八木からもっと突込んだ内容を聞き、その内容をプロの立場から判断して、被告人本橋に報告しなければならないし、被告人八木の申し出は脱税行為であり、厳罰に処せられる行為である旨説明して、被告人本橋に被告人八木の申し出を断る様注意しなければならない立場にあった。

ところが、上原は、被告人八木の話の内容を被告人本橋に報告することを尾口、河上両名に任せた。そして、同人等は、プロの上原も被告人八木の方法は認められていると云っていると報告し、暗に上原も被告人八木に申告手続を代行させることに同調しているが如き言動をしたのである。

被告人本橋は、新制中学卒業後、板金の職人としてこれまでこれ一筋に生活してきたものである。煩雑な経理事務全般は勿論、税務申告についても全て妻弘子に一任していた関係上、尾口や河上から前記供述の如き内容を説明されたとしても充分に理解することはできず、自らの判断でもって、本件申告を被告人八木に依頼するという決断を下すことができない状態であった。その為プロの経理士上原良雄をして尾口、河上等がしきりにすすめる被告人八木の申告内容を判断してもらうため、上原良雄に依頼したのである。

被告人本橋にしてみれば、依頼した上原良雄からなんの報告もなく、然も尾口、河上等から上原も「保証債務を負担して弁済すれば、譲渡説から控除される制度がある。」等、被告人八木の話の内容が認められているが如き誤解を招く言動でもって薦められれば、被告人本橋が上原が大丈夫だと云っていたと思うのも当然の帰結であり、信頼していた尾口、河上の薦めることでもあり、プロの上原が問題ないものとして、尾口、河上にその説明を任せたと判断してもなんら不思議ではない。

そこで、被告人本橋は、被告人八木の件については、尾口や上原に任せる旨の発言をしたと考えられる。このことは、本橋弘子の尾口さん等が帰った後、私は主人に、「本当に大丈夫なのかしら。」と聞いたところ主人は、「皆が大丈夫だと言ってるんだから大丈夫じゃあないの。」と云っていた旨の被告人本橋夫婦の会話に現れている。

この会話の「大丈夫」という意味は、税務のプロの上原良雄が賛成している以上、同和に申告手続を任せることにつき問題がないと被告人本橋が理解したということである。

これら一連の行動からみると、被告人本橋は、本件申告がどの様な方法でなされ、それが同被告人にとって如何なる結果をもたらすかということについては、全く認識をしていなかったと考えられる。

被告人本橋としては、信頼していた尾口、信用していた河上、税務のプロと思っていた上原等に全てを任せ、同人等が問題がなく大丈夫であると云ったためにその処理を尾口、上原両名に任せたため、尾口から被告人八木に恰も被告人本橋が被告人八木の本件申告に同意した如く誤った伝達がなされたのである。

以上の観点、及び第二で述べたことを勘案すると、弁護人は、被告人本橋については、本件犯意は存在しなかったと判断するものであり、これを看過した原審判決は、不当であると思料する。

三 上原良雄、尾口八郎、河上弘次及び下館勝治等の検面調書の信用性について、

尾口八郎、上原良雄、河上弘次及び下館勝治は、本件においては、被告人本橋とともに訴追されなければならない共犯者である。

それにも拘わらず、本件に於ては、いずれも逮捕拘留されることなく、任意な取調べを受け、しかも参考人として取り調べを受けたことになっている。

河上弘次、下館勝治は、被告人八木と積極的に接触し、同被告人の本件犯行に共鳴して積極的に脱税勧誘行為に終始し、その功労金として、被告人八木から各二〇〇万円もの多額の報酬の分配に預かった。尾口八郎は、被告人本橋の不動産管理を任され、同被告人から最も信頼されていた者であるにも拘わらず、右被告人を裏切り、本件犯行に自ら加担し、被告人八木からその報酬として三〇〇万円もの多額の金員の分配を受けた。上原良雄は、税理士や会計士の資格がないにも拘わらず、その資格をもっている様に第三者を誤信させ、自ら有資格者であるが如く装って報酬を得て会計税務の業務に従事し、本件に於ては本申告が脱税行為であることを充分承知しながら、曖昧な言動で本件を幇助し、被告人本橋に対して背任行為を働き、然も、被告人八木からの分配金五〇万円を報酬として受領した。

そして、尾口八郎、上原良雄は、本橋弘子より本件の手数料として各五〇万円を請求し、これを受領し、河上弘次に至っては、臆面もなく二五〇万円も余分に本橋弘子より受領した者である。

右の者等の供述調書は、全て本件が当初から架空の保証債務を履行するために本件土地を処分した内容で本件申告手続をなし、同和団体の圧力でもって、税務署にこれを認めさせるという内容に終止し、その具体的な方法等については全く触れていない。

河上、下館がこれらの具体的内容を知らなかったし、又その具体的内容については、被告人八木に聞かなかったというのであれば、同人等の立場上そこまで立ち入る必要がないという道理が成り立つが、上原や尾口に関しては、右弁解で済まされるものではない。両名は、専門的にどの様な方法内容に基づいて為されるのか、それがどう云う結果になるかということについて、被告人本橋から具体的説明を聞く様依頼されていたからである。それにも拘わらず、右両名の供述調書は、多少の文言の相違はあっても下館、河上の供述と差異はなく、架空の保証債務ということで終止している。そして、被告人本橋に対する脱税行為の犯意の部分に至ると、焦点がぼやけて、「本橋は無口な人だが、保証債務の履行ということは、本人が保証人になっていないので、それが架空のものであるということは解っていたと思う」ということにし、全ては本橋は了承していたと云って、一人本橋の責任である供述になっている。

脱税行為が、国の財政を侵害し、ひいては国家の財政的基礎を崩壊せしめるという重大犯であるという建前から云うならば、脱税の意思なく法律に基づく正規の税金を支払おうとしている被告人本橋に恩着せがましく、「本橋に世話になっているので少しでも税金が安くなればと思って話をつないだ」等と云って脱税を教唆し、然も、本件申告税額が常軌を逸した僅かな金額であるにも拘わらず、脱税行為に加担して右申告税額より多い報酬を取得していた尾口八郎、河上弘次は、被告人本橋より悪質であり、当然本件の共犯として連座させ酷しく処断されなければならないはずである。税務処理のプロとして生活している上原も、又下館においても然りである。ところが捜査担当の検察官は、右当事者等を訴追しなかった。

これらの背景をふまえて、右尾口等の供述調書を精読すると、納税義務者である被告人本橋を処断することにより、本件の首謀者である被告人八木、同樋口を共犯として弾劾するため、情を知らないで本件脱税に巻き込まれた被告人本橋を故意に右脱税行為をしたという供述記載の調書として作成させる必要があったことがうかがえる。

勿論、右尾口等が脱税の共犯として訴追を受けることがない様、全てを被告人本橋の同意があったことにする卑劣な心境に便乗して、取調担当検事が、不起訴処分を口約し、尾口等をしてこの様な検事調書に署名捺印させたものであると強く疑念を抱かしめるのである。

右の次第で、弁護人としては、尾口等の前記検面調書は、いずれも訴追しないという利益誘導に基づくものであり、信用出来ないと言わざるを得ない。

そして、信用性を欠く調書に基づく原審判決は納得できないのである。

四 被告人本橋及び本橋弘子の検面調書の真実性について、

被告人本橋の供述調書は、同人が本公判廷で述べている通り、どの様にしてこの様になったか解らないが、取調検事から、尾口、河上等、皆んなが架空の保証債務を計上して税金を安くする旨供述しているし、本橋さんだけが違うと云っても始まらないと云われ、この様な重大なことになるとも知らず「皆んなが、そう云っているならば、その通りにして下さい。」と云って、右被告人の調書が出来上がったものであるから、被告人の右調書は、いずれも真実を述べたものではないから、右供述調書に証拠価値はなく、これを信用することができない。本橋弘子の供述調書も同様である。

第二 量刑

被告人本橋に対する原審判決は、他の共犯者の刑に比較し、著しく過酷であり、刑の衡平を欠いている。

一 被告人は、昭和九年六月八日本籍地で、父亡金三郎、母亡キミの長男として生まれ、昭和二五年三月田無市の新制中学卒業後、父親の家業である板金業を手伝い、爾来今日まで板金の職人として、これ一筋に生活してきたものである。

昭和三四年妻弘子と結婚し、長女和子、長男弘好、次男金也の三人の子供達とともに親子五人で平穏な市民生活を営んで来た。

被告人本橋は、職人一筋に生活して来たため、煩雑な経理事務全般は、妻弘子に任せきりであり、税務申告等についても全て妻弘子に一任していた。

被告人本橋は、複雑な計算や難しい問題等については、良く解らないため、自分で判断できず皆の意見がそのまま黙認されるということになったもので、被告人が積極的に結論を出すということはなかったのである。このことは、本件についても同様である。

本件は、被告人本橋、妻弘子の無知はもとより、顧問税理士と自称する上原良雄の専門知識の不足に端を発し、被告人本橋、妻弘子の信頼した右上原、尾口八郎、河上弘次の報酬欲しさの裏切り行為によって発展して行った不幸な事件である。

上原良雄が、被告人本橋の昭和五六年度分の所得税確定申告の申告税額を算定する際、租税特別措置法第三四条の二第一項第一号(特別住宅地造成事業等のために土地を譲渡した場合の譲渡所得の特別控除)の規定、及び同法第三一条の二第一項第一号、同法施行令第二〇条の二(優良住宅地の造成等のために土地等を譲渡した場合の長期譲渡所得の特例)の規定を適用して、正規の所得税額を算定していたならば、被告人本橋は、前述の被告人八木等が計画した詐欺的行為に巻き込まれることはなかった。又、被告人本橋の側近に人を得ていたならば、尾口八郎の背任行為や河上弘次等の卑劣な裏切り行為によって、本件の如き訴追を受けることもなかったのである。

被告人本橋は、今日まで前科は勿論のこと、逮捕されたことは一度もなく、又、毎年の所得税の確定申告に際しても、過少乃至不正申告をしたことは一度もない。善良な一市民として、他人様に迷惑をかけることもなく、平穏無事に善良な市民生活を送って来た者である。

二 被告人本橋は、本件譲渡説の支払いのため、本件土地の譲渡代金の一部を第一勧業銀行田無支店に金七千万円の一年定期として確保し、協和銀行吉祥寺支店に金七千万円のこれ又一年定期として、昭和五六年度分の所得税の正規の税額に相当する金員の支払準備をしていた。

更に、本件により、被告人が逮捕、勾留され、釈放されるや、被告人本橋は、本件の重大さを思い知り、税理士萩原紘一に依頼して国税局に赴き、昭和六〇年一〇月二五日、自らすすんで本件の修正申告をなし、同月三一日その差額金一〇七、八二六、〇〇〇円也の本税全額を納入した。

そして、国税当局より右未納本税に対する延滞金が決定されると、昭和六〇年一二月一一日金八、〇〇〇、二〇〇円の延滞金全額を納付した。

更に、国税当局より重加算税の更正決定を受けるや、右決定に対する支払担保のために、田無市の被告人本橋所有の土地を担保提供し、本件訴因変更により、国税当局より重加算税の税額変更後の金額が通知されたので、昭和六一年六月二七日金五、九八三、六〇〇円を支払い、本件に於て課せられた納付すべき金員を全て納入している。

被告人本橋は、本人が何が何んだか解らない間に、本件の如き重大な結果になったことに対して充分反省し、国に迷惑をかけたことに対して改悛の情を、納税という形で表現しているのである。

三 本件については、弁護人が前述した通り、被告人本橋より悪質であると考えられる尾口、上原、河上、下館等がなんら問責されないで、納税義務者であったがために被告人本橋だけが本件により訴追を受けた。

納税義務者本人だといえども、本件は、前述の通り、被告人八木等の報酬目的のための詐欺的行為と、尾口等の背任行為に被告人本橋が無知の為に利用された事件である。尾口等と被告人八木等によって仕組まれた事件である。

それにも拘わらず、被告人本橋は懲役一年罰金二、〇〇〇万円を併科されるという刑の言渡しを受けた。

(懲役刑については二年間執行猶予)

本件の共犯者、被告人八木に対しては、懲役一〇月、同樋口に対しては懲役七月の実刑判決ではあるが、これ等悪質な共犯者等の刑と比較しても、又刑の衡平の点からみても、被告人本橋に対する原審判決は、あまりるも酷し過ぎ社会的正義にもとるものである。

四 ちなみに被告人本橋が本件により蒙っている損金を述べれば、次の通りである。

(一) 検察官の訴因変更に基づく正規の税額は、

金七八、八〇八、〇〇〇円である。

(二) 被告人本橋が国税当局に支払った金額は、

(1) 本税分金一〇七、八二六、〇〇〇円

(2) 右本税に対する延滞金八、〇〇〇、二〇〇円

(3) 重加算税分として金五、九八三、六〇〇円

右(1)乃至(3)の合計金額一二一、八〇九、八〇〇円

このほか、田無市に対して金二七、二一一、二九〇円がある。

被告人本橋が、資格ある税理士に依頼して本件の申告をしていたならば、本税は、金七八、八〇八、〇〇〇円であるから、被告人本橋は、既に支払い済みの延滞金、重加算税分合計四三、〇〇一、八〇〇円のほか、田無市に対する延滞金を加算した損を受けたことになる。

更に、被告人本橋は、被告人八木に対して、金七〇、〇〇〇、〇〇〇円を支払い、同被告人は、本税として金二、二七八、〇〇〇円及び田無市に支払った市民税がある。被告人本橋が、同八木に支払った金額から被告人八木が本税として支払った右税額、及び田無市に支払った市民税を控除した金額が、被告人本橋の損害額となり、被告人本橋は、約六七、〇〇〇、〇〇〇円の損害を蒙っていることになる。

被告人本橋が、被告人八木より納税協力金名下に受領した金一〇、〇〇〇、〇〇〇円と被告人樋口との支払約束金一、五〇〇、〇〇〇円が現実に支払われたとして、被告人本橋が回収した金額は、金一一、五〇〇、〇〇〇円である。

従って、被告人本橋が、右重加算税、延滞金として、国税当局に納付した損害額金四三、〇〇一、八〇〇円に、被告人八木に支払った損害額金六七、〇〇〇、〇〇〇円を加えた金一一〇、〇〇一、八〇〇円から、右被告人八木等から回収した金一一、五〇〇、〇〇〇円を控除した金九八、五〇一、八〇〇円が被告人本橋が現実に蒙っている損害である。

五 以上本件の特殊性及び被告人本橋の諸事情を勘案の上、特別の御配慮をお願いする次第である。

以上

○控訴趣意書

被告人 樋口忠史

右の者に対する所得税法違反事件につき、被告人は次の通り控訴の趣意を述べるものである。

昭和六一年一一月一四日

右弁護人

弁護士 中野公夫

同 藤本健子

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

原審の被告人樋口に対する懲役七月の実刑判決は量刑不当であり、執行猶予が相当であると思料する。その理由は左の通りである。

一 原審判決は被告人樋口に対す量刑の事情として、

第一に本件の手口の基本的な方法については、被告人樋口の同和団体を名乗る活動とその知識が基になっていることを挙げているが、この点についてまず責められるべきは、知識それ自体でなく、誰がその活用を考え実行に移したかということにある。

本件は被告人八木が計画し、実行したことである。被告人は単に被告人八木に利用されたに過ぎない。被告人八木が被告人樋口を自分の事務所に出入りさせるようになったのは、被告人樋口をもっぱら利用することを考えてのことである。被告人樋口は被告人八木の利益追求の目的のために利用されたに過ぎないのである。

第二に原判決は被告人樋口の折衝役としての役割を軽視することはできないとするのであるが、被告人樋口は本件犯行の手段として利用した書類等の準備をした被告人八木の部下である中川、南薗両名と同行しており又東村山税務署に対する事前の同和団体を名乗る通知及び担当者への電話等はすべて被告人八木の手で行われているのである。こうした前後の状況及び被告人自身は書類の作成に関与しておらず、それ故提出書類の内容についても確知していなかったこと等のことから判断すると、本件に於ける被告人樋口の役割は折衝というよりむしろ中川及び南薗が作成した書類の提出に立ち会うといった方が正確であり、実刑に付さなければならない程の相当性ある役割であったとはいい難いのである。

第三に原判決は被告人樋口が金一五〇万円を受領したことをあげているが、この点については、被告人本橋との間で金一五〇万円を支払う旨の示談が成立しており、被告人樋口には利得は残らないことになるのである。

第四に被告人樋口が本件申告手続当時、道交法違反等により二年間の執行猶予中であったことと詐欺罪の判決言渡しの三日後であったことが指摘されているが、被告人樋口は昭和五九年一〇月以降は正業について責任ある仕事をしており、完全に過去を精算しているのであるから、このような同被告人に前科のことを理由に実刑を課することは酷にすぎるものと思料する。

二 被告人樋口は、本事件を機に被告人八木とも別れ、同和を語る仕事からも足を洗い、現在は展示会の設営を業とする株式会社ザ・ワールドの代表者として正業に励んでいる。社員は四〇名~六〇名を擁しておりこれら社員の生活が被告人にかかっているのである。被告人樋口が実刑を受けることは会社及びこれら社員にとっても回復し難い打撃を受けることとなる。これら事情及び前記の通り本件に於いて被告人樋口は被告人八木の指示に従って使者的役割を果たしたにすぎず、単に利用されたに過ぎないものであること並びに以下に述べる諸事情を勘案する時、被告人樋口に対する懲役七月の実刑判決は被告人八木の懲役一〇月に比して、重きに失すると思料する。

三 被告人樋口は、被告人八木から本件問題の取引内容について事前に説明を受けることなく、東村山税務署へ出向いて欲しい旨の指示に従って、既に作成されていた疎明資料持参提出して申告手続きを行った過ぎず、その内容については全く関知していなかったのである。結局被告人樋口は前記の通り被告人八木の道具的役割を果たしたに過ぎないのであるが、この点につき、証拠により認められる事情は、以下の通りである。

(一) 被告人樋口は、本件につき、被告人八木から昭和五七年二月二二日の当日まで事前に何ら説明らしいものは受けておらず、この当日も具体的なことは何ら説明を受けていない。勿論、被告人樋口は被告人本橋とは面識もなく、同被告人から直接事情を聞くことも全く無かったのである。

被告人樋口は右当日の午前中被告人八木の指示で中川、南薗と共に東村山税務署に赴いたのであるが、被告人樋口、中川、南薗三名が頼まれた用件は「被告人本橋が他人の借金の保証をして土地を売った件につき、控除が認められるか否か、またその手続にはどんな書類を提出したらよいか聞いて来る」ことであったのである。

被告人樋口と中川、南薗との間には依頼された用件の処理について立場上の差異はない。特に強調したいことは、この当時、被告人樋口は、被告人本橋の実情については、殆ど説明を受けていなかったのであるから、東村山税務署に赴いて説明を受けるにしても、一般的なことに終止せざるを得なったということである。

東村山税務署から被告人八木の事務所に戻ってからの状況は、むしろ被告人樋口と関係なしに事が運ばれているのである。

すなわち、東村山税務署に提出される被告人本橋関係の書類の作成には被告人樋口は、全く関与していない。右提出書類の作成の関係では、被告人八木、南薗、島田電器工業株式会社代表取締役として中川博己三名が直接関与しているのである。

被告人樋口は、右書類作成の際は、一人で昼食に出ていて、全くこれに関与していない。被告人樋口が昼食に出たのは極く自然の成り行きであって、関係者も又これを当然のこととしていたのである。

右提出書類作成のため、被告人樋口をその場に留めようとした気配は全くない。被告人樋口は当初から提出書面の作成には関係ないし、又関与することも無いとされていたのである。

被告人樋口が昼食から戻った時は、提出書類はすでに作成されていて、被告人樋口はこの書類を一見しただけで、再び中川、南薗らと東村山税務署に赴いたのである。

右赴くに際し被告人樋口自身は、被告人八木から、関係のもの(小切手、本橋の印等)も託されていない。

(二) 再び東村山税務署に赴いた時の状況についてであるが、被告人樋口は提出書類を係官に渡し、内容の確認、これに基づく申告書類の作成は係官に任しているのである。被告人樋口は内容的なことは殆ど発言していない。直接書類を作成していないため、書類についての具体的な説明ができる状態ではなかったのである。

勿論この際、被告人樋口は、具体的な言動で税務署の担当者に圧力をかけたこともしていない。

このことは書類提出の場所が税務署という公の官庁であることからも当然に推測できるのである。他に職員もいるところで、担当者に圧力をかける等ということは不可能である。

この日被告人樋口は被告人八木から予め税務署に着いたら電話をする様に含められており、被告人八木が直接電話で話をするからということに指示されていたのである。事実、昭和五七年二月二二日の午後東村山税務署に着いて担当者と事務的なことについて打合せをする等の経過後、被告人八木が東村山税務署の担当者と電話で話合い、結論を出したのである。

(三) もっとも被告人樋口は、被告人本橋と全く面識があく、又被告人八木と被告人本橋側との交渉の経過、金銭負担のこと、その他具体的打合せの内容について、全く知らされていないのであるから、税務署に赴いても被告人樋口としては、具体的な内容の確定について折衝の余地も無かったと言えるのである。

このように見てくると被告人樋口の役割は中川、南薗らと共に東村山税務署に於いて被告人八木が、担当官と直接電話で話合いをするために橋渡しをしたに過ぎないと言えるのである。

(四) むしろ本件を素直に見れば、被告人樋口より中川の果たした役割の方が大きいと言えるのである。

当初東村山税務署に赴いて簡単に事情を説明し、税務署の見解を聞くについては、被告人樋口、中川、南薗三名が共に赴き、共にこれにかかわっているのであるが、然しこのことは、大して重要なことではない。三人で一緒に東村山税務署に赴き、一旦、被告人八木の事務所に戻って後、税務署に提出する書類の作成に直接係り、且つ書類上の当事者となったことこそ重要である。書類上の当事者となると言うことは情を知って架空の書面を作成することと同義であり、当該行為の根幹となる一番核心的なことに関与することとなるからである。

中川は、右架空の契約書の当事者として署名することにより、本件の一翼を荷なうこととなったのである。自ら作成を指示し又は、自ら作成に関与したものと、全く関与しなかったものとの差異は量的なものというより質的なものと言うことができる。

中川の場合、右提出した書類がいかなる内容のもので、その実体がいかなのものかについては充分熟知しており、かかる書類を自ら持参し被告人樋口の手を介して東村山税務署員に提出したのである。

以上の状況から公平に判断すると本件肝心の昭和五七年二月二二日の被告人樋口の果たした役割は、当日中川の果たした役割以下のものであったと評価ができるのである。

然も、被告人樋口は後にも先にも、この二月二二日以外、本件にはいかなる係りもしていない。

四 原判決は、被告人樋口が被告人八木と話合って各役割を分担しながら税務問題に関与し、利得しようとした旨の判断をされたのであるが、この点についても事実は、全く異なっていると言うべきなである。被告人樋口が、被告人八木に頼まれて扱った税務問題の件は二件であるが、いずれも被告人八木に頼まれて関与したに過ぎないものであって全て、被告人八木の主導の下に行われているのである。

特に重要と思われるのは金銭のことについて被告人樋口は全く関与していないし、被告人八木から全く相談も受けていないということである。

被告人樋口は本件の報酬としては、昭和五六年二月二五日の夕刻に被告人八木から金一〇〇万円を受け取っているが、この額は中川、南薗らと同額である。然も、この金一〇〇万円は、被告人八木が立替えるのだと言われ、そのままその言を信じて受領しているのである。実際はこの時、被告人八木は、被告人本橋から金七〇〇〇万円を受領し、被告人八木の採量で、これを適当に配分し、且つ、被告人八木は自己のため、その殆んどを費消してしまっているのであるが、被告人樋口には、まだ報酬を受け取っていない旨虚偽の事実を告げ、被告人樋口を適当にあしらっているのである。昭和五六年一一月頃の小沢精肉店の時も同様である。被告人樋口は被告人八木の指示のままに動き、報酬として弍、参拾万円を受け取っているに過ぎない。

被告人樋口が右各報酬につき、被告人八木に特に文句を言い、又は積極的に被告人八木に抗議した気配は全くない。

仮に被告人樋口が被告人八木と役割を分担し、共同して税務関係の仕事をすることを事前に申し合わせていたとすれば、一番肝心な金銭の問題、報酬の問題について全て被告人八木が主導専断し、被告人樋口に全く相談をせず、報告すらもしないということは絶対にあり得ないのである。

五 本件への係わりは事実を正確に見る限り、被告人樋口は従の割合しかしていない。むしろ、中川以下と言えるのである。

中川が本件につき起訴猶予になり、被告人樋口が起訴になったのは著しく不公平である。

特に本件被告人八木と被告人樋口の役割を勘案する時、金七〇〇〇万円の金員を手中にし、中心的役割を果たした被告人八木の実刑一〇月の刑に比し、被告人樋口の実刑七月は著しく重きに失するものと言うべきである。

刑罰に於ける正義は量刑の公平をもって貫徹されるものと思料するのであるが、本件の場合被告人樋口に対する宣告刑は著しく不公平であり正義に反するものと思料するのである。

六 法的問題について

(一) 被告人樋口は起訴状に対する認否に於いて、公訴事実を認めておりそれ故、本件につき真正面からこの点を取り上げるのはいさぎよしとしないのであるが、然し本件の特色として以下の点は十分留意されるべきものと思料する。

本件税務署に提出された書面は、被告人本橋が本件所得税の支払いをすることとなる不動産を処分した後の昭和五六年一〇月一九日付のものである。

ところで先に負担した保証債務の支払いをするためにその所有の不動産を処分し、然も、その処分して支払った保証人としての金銭の支出につき債務者本人に求償しようとしても、資力が無いため求償が事実上不能である場合に税金の支払いが考慮されるのである。このことは理の当然である。

本件で作成提出された書類は、日付から明らかな通り不動産の処分が先行しているのであるから、本件は元々税の免除の対象となる案件ではなかったのである。

(二) このような書面を税務署に提出した被告人らはいかにも無知であったと言うべきなのであるが、このことは反面いかに被告人らが杜撰であったかを示している。

被告人樋口が右書面につき不思議に思わなかったということは、元々本件の書面の作成には関与しておらず、又形式的に、この書面を確認したに過ぎないことと符合する。

然し、いずれにしても元々、免税の対象にならない書面を提出した行為は、法的に評価した場合免税を求める行為としては、全く意味のない行為であるから、このような行為をもって犯行に着手したものと評価すること自体無理があると思料する。

(三) 次に本件は専門の税務署員が、少し注意すれば、申告の時点で受領を拒否できた案件である。元々不能な手段を用いたのが税務署員の不注意のために、これが受理されてしまったのである。

原判決は、この点につき被告人樋口らが強圧的に受理させたかの如く判断しているのであるが、然し、税務署の庁舎の中で、他に税務署員もいるところで、多少声を高くしたからと言って、そんなことで威圧され、自由な判断を不可能になるということは経験的に在り得ない。

又本件はそのような状況下には無かったのである。担当の税務署員は、本件は当然に税の減免の場合に当たらないとして本件提出された書面の受理を拒否すべきであったのである。拒否すべきものを、そのま看過し、不注意にも受理してしまったことの責任は、むしろ全面的に税務署側にあると言うべきではないかと思料するのである。

このように考えると本件については被告人らの刑事責任を問うこと自体できないのではないかと思料するのである。

少なくとも、このような事実で被告人らを実刑に処するのは、相当とは思われない。

六 本件につき特に考慮していただきたい点は、以上の通りであるが、その他、本件は、被告人樋口が上京して間もない時期の自己の拠って立つ基盤が出来ていない時の事件であること、その後、被告人樋口は本件の様な不毛な行き方と訣別し生産的な仕事に精出していること、本件は被告人樋口にとって過去のことであり、むしろ一時的なものであったと評価できること、被告人樋口は職業人として自立し、責任ある立場で業務に励んでおり、このような被告人樋口につき、いたずらに過去を強く責めるのは、教育的理念を含む刑の目的に悖ることであり、前向きではないこと、被告人樋口は先妻と離婚し、現在中村真理子と同棲しているが、本件のことが終わったら正式に結婚する心算であり、被告人樋口は同女の子供も引き取って面倒を見ており、又先妻との子供の養育費も毎月送っており、私生活の面に於いては節度のある生活をしていること、何よりも被告人は、本件につき深く反省しており、又被告人の現在の生活態度、生活状況から判断して再犯の恐れも無いと断言できること等の全ての事情を勘案する時、被告人樋口を原判決通り実刑に処するのは相当ではないと思料するのである。

七 よって、原判決を破棄し被告人樋口のため執行猶予の判決を賜りたく、心から上申する次第である。

○控訴趣意書

目次

控訴理由第一点 事実誤認及び法令適用の誤り(刑訴法三八〇条・同三八二条)

一 本犯と実行行為者との間には共謀がない(刑法六五条)

二 本件については被告人八木には犯意がないか、あったとしても未必的なものである。

三 本件は不能犯若しくは未遂犯である。

控訴理由第二点 訴訟手続の法令違反(刑訴法三七八条)

一 本件における検察官提出証拠に対する同意の趣旨

二 憲法三七条二項違反

控訴理由第三点 量刑不当(刑訴法三八一条)、特に弁論終結後の事情(刑訴法三八二条の二)について

昭和六一年(う)第一四一九号

所得税法違反 八木惇光

右被告人に係る頭書控訴被告事件につき、弁護人の控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和六一年一一月三〇日

右弁護人(主任) 中村悳

同 天野武一

同 石井春水

同 深澤直之

東京高等裁判所第一刑事部 御中

控訴理由第一点(事実誤認及び法令適用の誤り。刑訴法三八〇条、同三八二条)

一 本犯と実行行為者との間には原判決が認定したような内容の共謀がなく、原判決(一一丁)の判示するように刑法六〇条、同法六五条一項の作動する余地がない。

本件はその成立が極めて難しい順次共謀による共謀共同正犯の事案であるが(起訴状参照)、原判決は十分な証拠がないのにこれを軽々しく誤認し、法令適用を行ったもので(原判決二丁)、刑訴法三八〇条、同三八二条にいう事実誤認及び法令適用の誤りがあり、到底破棄を免れない。

まず、原判決はその共謀及びそれに基づく実行行為の内容として「本橋被告人が昭和五六年中に田無市土地開発公社に土地を譲渡したことによる長期譲渡所得に関し、同被告人に架空の連帯保証債務を計上するとともに、その履行のために右土地を譲渡し、且つ、その履行に伴う求償権の行使ができなくなったかのごとく仮装するなどの方法により所得を秘匿した上・・・」と判示しているが(原判決二丁)、このような認定は本件で証拠調された決定的ともいえる証拠(申告書及びその添付書類)に明らかに矛盾するものである。

何故ならば右文中の「・・・その履行のために右土地を譲渡し・・・」といえるためには保証債務というものが右土地の譲渡よりも以前に存在していたように仮装しなければならなかった筈である。所得税法第六四条二項の法意もその趣旨である。

ところが、本件では保証債務の成立は昭和五六年一〇月一九日であり(原審記録証拠書類群2中の三九三丁表参照)、これは右土地の譲渡日である昭和五六年一月八日(代金決済日は同年同月一四日)より九ケ月以上も経過した後である(右書類群2中の三八八丁表参照)。

そうだとすると前記文中の「・・・連帯保証債務を計上すると共に、その履行のために右土地を譲渡し且つ、その履行に伴う求償権の行使ができなくなったかのごとく仮装するなどの方法のより所得を秘匿した上・・・」の原判決の共謀及びそれに基づく実行行為の判示は明らかに誤りであるといわなければならない。即ち原判決のいうように架空の連帯保証債務を履行するために右土地を譲渡したものではなく、「右土地の譲渡後生じた連帯保証債務の支払に右土地代金を充当する」旨の共謀及び実行行為がなされたと認定せざるを得ない筈なのである。

なるほど原判決の記録中には原判決の認定を何となく情緒的に支持したくなるような検察官調書の記載がある。尾口八郎の検察官調書(原審記録二〇七丁表、同二一二丁表)、河上弘次の検察官調書(原審記録二九五丁乃至二九七丁、同三〇一丁表裏、同三〇三丁表裏)などがこれである。

しかし、これらの各記載も前記のような問題意識をもって読めば架空とはいえ連帯保証債務の金額も成立年月日もわからないし、誰が債権者で誰が本債務者であるかもわからず(原審記録五八四丁表裏)、一体具体的にどうするつもりなのか、具体的にどういう事実関係を主張することについての意思連絡があったのか全く五里霧中であったとしかいいようがないのである。

これらはむしろ、原判決を支持するのではないかと思われる証拠を拾い上げてみただけのことである。弁護人としていわしむれば検察官調書がこのような抽象的な記載になっていること自体、取調時点で身柄拘束を極度に恐れていた共犯者の尾口や河上が、検察官に迎合して、元々ありもしない保証債務の共謀があたかも本犯と実行正犯との間に存在したかのような虚偽の供述をしてしまい、それに基づいて本件の真相が造り変えられてしまったものだとの感を深くする。一般に被告人等の公判廷での供述が裁判所に信用される確率とういものはかなり低いものであるが、それは多くの場合、その裏付を欠く場合であり、本件のように確固とした客観的証拠による裏付がある場合には各被告人の公判廷での供述は一〇〇パーセント信用されて然るべきである。

被告人本橋、同八木、同樋口等は異口同意に相互に会ったことがなく、架空の保証債務を主張することについての意思連絡が全くなかったことを理路整然と主張しているのである(被告人本橋の公判廷供述)(原審記録二丁~一二丁、六四丁、同記録四二六丁~四三一丁、四三七丁~四四一丁、被告人八木の公判廷供述原審記録一三五丁、一三七丁、一四二丁、一四三丁、原審記録三四四丁、五一四丁、五三〇丁裏乃至五三一丁裏、被告人樋口の公判廷供述原審記録一七三丁乃至二八〇丁、同五六二丁乃至五九九丁)。

原判決はその理由中で弁護人の主張を、(1)被告人樋口等が所得税法六四条二項の特例の適用がなされないことが明らかな書類を提供したけとと、(2)申告手続の前後を通じ、被告人本橋が尾口等から架空の保証債務を履行するために土地を譲渡するという共謀を被告人八木等との間にしていないこととの二つに分断した上で(原判決六丁裏から七丁表)、これを各個撃破の型で(1)については確かに弁護人が主張するような矛盾があり、所得税法六四条二項の特例の適用を受けるための資料として不十分なものであると認めながら、書類が不備であったのは、虚偽の書類を作成した被告人八木らの単純な間違いにすぎないものであるとし(原判決八丁表裏)、(2)については尾口、河上の検察官調書を殆ど唯一の客観的資料として被告人八木と被告人本橋との間に「架空の保証債務を支払うための本件土地を譲渡したことにする」旨の順次共謀が成立した旨認定しているのである(原判決一〇丁表・裏)。

しかしながら、弁護人の右主張(1)(2)は相互に密接に関連し合うものであり、この点を見逃すと本件の真相の把握は不可能なのである。何故からいうと原判決が右(2)について本件における被告人八木と同本橋との順次共謀認定の殆ど唯一の客観的資料としている尾口、河上の前記各検察官調書の記載中には「既に成立している架空の保証債務を支払うために本件土地を譲渡したことにする」旨の明確な共謀記載は何もなく、せいぜい原判決も指摘しているように「・・・赤字会社の負債を保証したことにして土地を売った代金からその債務を支払ったことにする」旨のことが記載されているにとどまり(原判決一〇丁表八行目から一〇行目)、架空の保証債務成立と土地の譲渡の前後の関係が全く不明のままなのであり、このことは原判決(一一丁裏一〇行目から一一行目)が更に引用している被告人本橋、同八木の検察官に対する供述調書においても全く同じことなのである。

更に重要なことは以上のような「既に成立している架空保証債務を支払うために本件土地を譲渡したことにする」旨の明確な共謀がなかったからこそ、被告人八木、同樋口、同中川、同南園等が昭和五七年二月二二日の午後、作成した保証債務関係書類中で架空の保証債務成立の時期が土地の譲渡後一〇ケ月も経過した年月日になっているのであって、これは原判決が前記(1)についていうように被告人八木等の単純な間違いにすぎないものではなく、むしろ本件については「既に成立している架空の保証債務を支払うために土地を譲渡したことにする」旨の共謀がなかったことを雄弁に物語るものであり、この意味において原判決掲記の弁護人の主張(1)(2)は密接に関係し、それ自体本件の真相をあますところなく明らかにしているものである。

ところで、原判決が「・・・書類が不備であったのは、虚偽の書類を作成した被告人八木等の単純な間違いにすぎないものであり、・・・」(原判決八丁裏三行目から四行目)と認定したのは、そのこと自体大変な冒険であり、ある意味ではとんでもない独断である。何故なら被告人等を含む全ての本件関係者の中でこのようなことを言っているのは誰もいないし、被告人八木と利害相反の関係にある被告人樋口さえ検察官のこの点の質問の際、強くこれを否定しているからである(原記録五九一丁表)。原判決がこのような認定をしたのは結局は経験則ということになるのであろうが、既に論じたように架空の保証債務成立の時期と土地譲渡の先後について何等の共謀の証拠もない本件のような事案についてはこのような経験則が成立しないことは自明の理であるといわなければならない。

以上の事情に照らすと、本件においては原審が原判決のような認定をもしするのであれば、税務署担当係官の弁護人からの証人申請を受容し、同人等に原判決認定のような事実を十分に尋問し、それが常識的に十分に納得できることを確認してから、そのような事実認定を行うべきものである。特に原判決が「・・・税務署担当係官等の対応に問題がないわけではなかった等の事情が認められるが・・・」(原判決八丁裏二行目から三行目)としながら「書類は不備であったのは虚偽の書類を作成した被告人八木等の単純な間違いにすぎないものであり、又担当係官の作業も被告人八木及び被告人樋口等の意図に従い、その求めに応じ、ただ機械的に申告税額を計算し記入しただけであって、誤った税務指導の結果過少申告となったと言えないことは明らかである」(原判決八丁裏三行目から八行目)等と認定するに至っては証拠もないのに(税務署担当係官の調書もなければ、証人尋問も行われていない)、裁判所が税務署側をかばってその代弁をしているとしか思われない。国家機関とか公務員とかいうものは互いに内部を律するに厳しくなければならず、互いにかばいあうものであってはならない。そうであってこそ善良な国民の信託に応え、その信頼を得られるものというべきであって、原審が必要な証拠調をせずに税務署側の弁解を代弁しているような態度に終始したことは全く理解に苦しむものがある。

あるいは本件が同和関係事犯であったことが原審での訴訟進行や事実認定に何等かの影響を与えたものではないかと思われるが、本件被告人等のいずれも本物の同和関係者というものはないし、弁護士のいずれも、同和関係者とおよそ無縁の者ばかりであり、社会正義の実現と人権擁護のため被告人を弁護しているにすぎない。

以上、如何なる観点からも原判決が冒頭において(罪となるべき事実)として認定した「・・・架空の連帯債務を計上すると共にその履行のために右土地を譲渡し、且つ、その履行に伴う求償権の行使ができなくなったかのごとく仮装するなどの方法により所得を秘匿した」旨の共謀及び実行行為の事実は認定し得ないものである。

二 本件については被告人八木には犯意がないか、あったとしても未必的なものである。

本件は自然犯ではなく行政犯といわれるものである。税金そのものが人為的なものであり、脱税そのものも本来的な犯罪ではなく、犯罪としている国もあれば、犯罪としていない国もある。犯罪としている国でも体刑は課さずに罰金刑のみの国もある。要するに国家の意思によってどうにでもなるといった犯罪である。

このように脱税犯というものは人為的に創作された犯罪であるからそれを取り扱っている国家機関(行政官庁)において被告人等の行為を助長したりするような税務相談をしたり、その申告方法を進んで受容もしくは同意したりすると被告人等の方で犯罪を犯す意識というものが著しく希薄になるか、もしくはそのような犯罪を犯す意識(犯意)というものが消滅してしまうこともあり得るのである。

原判決はその量刑の事情欄において「被告人等は、当初から、税務署の担当係官等に対し、同和団体の組織的勢威を利用して折衝し、ほ脱を容易にすることをもくろんでいたものであるから、担当係官等の対応の非を強調するのはまさに省みて他をいうものであって・・・」と述べている(原判決一二丁裏七行目から一一行目)。

確かに被告人八木等が実行行為の何日か前に同和団体の最高顧問と称して東村山税務署長に対して書簡を送って税務相談を申し入れている点(原記録七五五丁)は、同和団体の組織的勢威を利用して折衝することをもくろんでいたことになるが、昭和五七年二月二二日に被告人樋口等が東村山税務署に赴いて税務相談をした段階から、税務担当機関であり、取締機関でもある税務署が被告人等の本件行為を助長するような税務相談をしたり、その申告方法を教えて進んで受容し、同意したりするような態度に終始したものであって、これによってそれまでに抱いていた被告人等の犯意が著しく希薄になったり消滅したりしたことも顕著な事実なのである(原記録五二一丁、五二二丁表裏、五二三丁表裏)。

弁護人もこの種の同和団体の組織的勢威の恐ろしさを理解できないわけではない。しかしそうであっても税務署員としては犯罪がまかり通るのを黙って見過ごしていてよいものではない。それはあたかも国有鉄道の車内で犯罪が行われているのを車掌や公安職員が黙って見て見ぬ振りをして何等通報とか検挙とかの措置を講じないのと同じことである。特に本件の如き、行政犯については税務当局としてはわが国の税制やこの種の脱税が懲役刑に処せられる犯罪であり取締の対象となっていることを告知した上で何等かの抵抗の姿勢を示すべきものである。勿論、そうしたとしても、被告人等の組織的勢威によって脱税がまかり通ることになるかも知れないが、それならそれでよい。それによって被告人等のやっていることが行政犯の犯罪だということがはっきりするのである。この点について原判決は「担当係官らの対応の非を強調するのはまさに省みて他をいうものであってこの点を情状として特に斟酌すべきものとはいえない」(原判決一二丁裏九行目から一一行目)と述べているのであるが、これは原判決が本件が行政犯若しくは法定犯であることを看過すると共に第三者的にみた客観的な情状を被告人等の反省の情等の主観的な情状と取り違え、混同した結果だといわざるを得ない。例えば国有鉄道の車内で行われた犯罪を車掌や公安職員が黙って見て見ぬ振りをして、通報とか検挙をしなかった場合に犯人自らがこれら担当係員の対応の非を責めることは省みて他をいうものと非難を免れないかも知れないが、善良な市民の側から客観的にみると、これら対応係官の対応の仕方が犯人の規範意識を薄れさせ、犯罪を助長していることは客観的に見て明らかな事実であってこれがひいてはその事件の事実認定とか情状に斟酌されるべきは当然の理といわなければならない(昭和六〇年一一月二一日京都地裁判決、同月二二日読売新聞)。

特に被告人八木はかつて同和の組織にいたことがあるといわれていた被告人樋口から、同和団体を通しての税金申告については、税務署の裁量権の範囲内で優遇措置の枠があり(被告人八木の本人尋問調書、原記録五二三丁、五二四丁、五二五丁、五二六丁参照)、税務署の方から要求される書類はそのような優遇措置を実現するために必要な書類であると理解していたものである。勿論架空の保証債務を作り上げる為の虚偽の関係書類を作成したり、それを行使したりすることが悪いことは被告人八木としては十分に承知していることである。しかし、本件の場合にはこのような虚偽文書の行使の相手方若しくは直接の被害者と思われる税務署の方で、そのようなことは承知の上でその提出を要求していると見られるふしがあったので、被告人八木としては犯罪にはならないという認識に達したのである。

被告人八木がこのような認識に達したと考えられるもう一つの決定的に重要な事実(証拠)は、昭和五七年二月二二日の午後に被告人樋口、同中川、同南園等が東村山税務署での税務相談から戻ってきて、東村山税務署の担当官から提出するよう要求されたとして作った保証債務関係書類はその証拠債務の成立時期が本件土地譲渡後のものであったといことである。即ち、免税を受け得る保証債務が土地譲渡後でもかまわないということになると何も架空の保証債務を捏造しなくても、真実存在する債務を保証して免税を受けることも可能であったが、東村山税務署の方でそんなことをあまり問題にしないのであれば、同税務署担当官の方で教えてくれた通りの必要関係書類を持って行けばよいという結論になったわけである。

この点は税務署の担当官からよく事情を聞けばもっと明確になるわけであり、弁護人もそのような観点から税務署担当官の証人申請をなしたものであるが、原裁判所は合理的な理由もなく、右証人申請を却下したものである。

原裁判所としては「被告人等は、当初から税務署の担当係官等に対し、同和団体の組織的勢威を利用して折衝し、ほ脱を容易にすることをもくろんでいたものであるから・・・」(原判決一二丁裏七行目から一〇行目)と述べていることから、被告人等はいずれにしろ不正なことをやっているのだから、犯行当時の細かい事情については斟酌しないといわんばかりの意思であるやにもうかがわれるのであるが、やはり起訴状に記載された通りの共謀や実行行為がそのままに認定できないということは究めて重要なことであり、これを概括的に不正な脱税事犯として処理するためには訴因変更その他の法定の手続が憲法三一条の趣旨からも要請されているとみるべきである。

かようなわけで原判決の被告人等の犯意及びそれにまつわる情状の認定には誤りがあり、これが判決の結論を左右していることは明らかであって、原判決は破棄されるべきである。

三 本件は不能犯若しくは未遂犯である。

我が国における各税務署の確定申告の受付審査が実質的審査に及ばないといっても、なされた申告が法規に合致しているかを調査する形式的審査だけは欠かしてはならないものである。

本件はこのような意味での形式的審査さえなされておれば絶対に法網をくぐることの出来なかった事案である。即ち、本件では連帯保証債務支払のため土地を売却したことにより所得税法第六四条二項の免税措置を主張したことが不正の手段だとして脱税犯に問われた事案なのであるが、実際の事実関係ではこのような主張もなされていないし、その疎明のために提出された書類もこのような事実関係には合致していない。むしろ土地を譲渡してから保証債務が生じ、土地の売買代金をその保証債務の支払にあてたという事実が主張され、これが所得税法六四条二項に該当する旨の確定申告がなされているのである。しかし、このような事実は勿論右所得税法六四条二項の法意に全くあてはまらないし免税措置を受けられるような申告ではない。

そしてこれが全く誤った申告であることは税務担当官が形式的審査をして申告書類を一べつすることだけで判明することである(五九一丁参照)。これがこのまま受付けられて、免税措置が講じられるといったことは形式的にもあり得ないことである。

この意味では本件は不能犯と考えてもおかしくないものである。しかし、従来の判例によればこのような場合でも未遂犯として捕えられている。

このような申告方法を指導したのは税務担当官であり、土地譲渡後に保証債務が生じたような書類の作成を指導し、それを受理したのも税務担当官であってみれば、既遂になる筈のない本件の誤った不正申告を既遂ならしめたのは東村山税務署の税務担当官であるとしか考えようがないのであろう。

以上論じた通り、本件は被告人等が実行行為に着手した際、それを税務署担当官の方で見破っておりながらあえてその確定申告をパスさせてしまったものであり、被告人等の行為は犯行の未遂にとどまるものであり、これを既遂と認定した原判決は破棄されるべきものである。

控訴理由第二点(訴訟手続の法令違反。刑訴法三七九条)

一 本件における検察官提出証拠に対する同意の趣旨

本件における第一回公判において被告人等は起訴状の公訴事実を概括的に認めた上検察官側提出の全ての証拠が弁護人側によって同意され取調べられた。この時点においても起訴状記載の公訴事実について前記第一記載のような問題点(争点)のあることは既に弁護人には熟知されていたものであるから、あえて右のような処置がとられたのは次のような理由と対策によるものであった。

1 その一つは保釈の問題であった。周知のようにいわゆる権利保釈(刑訴法八九条参照)というものは法規上の建前としては公訴事実を認め、証拠に同意したからその許可が得られるというものでもないし、公訴事実を否認して書証を不同意にしたからその許可が得られないということではない筈である。

しかし当時、被告人は会社経営の必要上及び家庭の事情あるいは健康上の必要から一刻も早く保釈許可を得たいという切迫した状態にあったところ、弁護人が第一回公判前後に裁判所と保釈についての話し合いをした結果では、被告人の希望するように一刻も早く保釈許可を得るためには冒頭手続で公訴事実を概括的にせよ認めた上、検察側提出の証拠に同意しなければならないのではないかと考えざるを得ない状況であった。

2 そこで弁護人としては冒頭手続の認否の段階で公訴事実を概括的に認めたからといってアレーンメント制度を採用していない我が国の刑訴法の下においては、それによって直ちに被告人等の有罪、無罪が決まってしまうものではないし、検察官提出証拠に全て同意したからといってその原供述者に対する反対尋問権を全て破棄したことにはならないという観点から、冒頭の認否手続においては公訴事実を概括的に認めた上、弁護人から最少限の法律上の問題点を指摘するにとどめ、検察官提出の証拠に対しては全てその提出に同意するが、必要あるときには被告人、弁護人からの原供述者に対する反対尋問の機会を与えていただきたいと申し述べた上で、検察官提出の全ての証拠に同意し、検察側の立証に協力させていただいたのである。

かようなわけで弁護人側が検察側提出証拠に同意した趣旨は訴訟の進行を促進し、検察側の立証を早期に終了させるためであって、反対尋問権ひいては必要証人の証人喚問権まで放棄した趣旨ではなく、むしろ、反対尋問権の行使のために訴訟を遅延させることなく、反対尋問権ひいては証人喚問権を合理的、能率的に行使しようとする趣旨であったのである。

ところで、原判決の内容を詳細に検討していくと随所に明確な証拠がないのに重要事実を一方的に認定している部分や積極消極両方の証拠があるのにどちらか一方を理由もなく重視して事実認定をなしている部分、判文自体から裁判所がある事実の存否に疑問を持っていることが看取される部分等が目につく。そのいくつかの例を挙示すれば次の通りである。

(1) 所得税法六四条二項の特例の適用を受けるための資料について「・・・書類が不備であったのは、虚偽の書類を作成した被告人八木等の単純な間違いにすぎないものであり、又担当係官の作業も、被告人八木及び被告人樋口等の意図に従い、その求めに応じ、ただ機械的に申告税額を計算し記入しただけであって、誤った税務指導の結果過少申告となったと言えないことは明らかである」(原判決八丁裏三行目から八行目まで)と原判決は説示するが、これがどのような証拠からこのように認定できるのか、あるいはどのような経験法則に照らして明らかなのか、必ずしも判文上はっきりしないばかりでなく、既に第一において論じたようにあらゆる証拠に照らしてもこのように断定できるだけの資料はない。特に被告人側ではこのような事実については、ほぼ全面的に争っている(弁護人の冒頭陳述、原審記録二五丁乃至二七丁、三〇丁乃至三一丁、原審記録一〇九丁乃至一二六丁参照)のであるから、裁判所としては右のような認定をなす上で、東村山税務署の税務担当官とか本件の実行行為者である中川、南園、書類作成等の事務担当者である永田むつ子等を弁護人の証人申請に応じて証人として喚問し、弁護人、被告人等からの十分な反対尋問の機会を与えるべきであったと考えられる。

(2) 本犯である本橋被告人と被告人八木、同樋口との間に意思連絡(順次共謀)があったかどうかについては原判決は尾口八郎、下館勝治、河上弘次等の検察官に対する供述調書を殆ど唯一の証拠として断定的に認定しているのであるが(原判決九丁、一〇丁参照)、もし本当に同人等が述べているように本犯と実行行為者との間に周到な計画、共謀(意思連絡)があったのであれば、所得税法六四条二項の適用がおよそ考えられないような書類が提出されていること等は全く合点のいかないところであり、もし裁判所がこのような認定をするのであれば、同人等を証人として喚問し、弁護人から十分な反対尋問をする機会を与えるべきものである。

(3) 更に原判決は被告人八木が「・・・納税資金分及び仲介人への手数料を除いた六〇〇〇万円うち五五〇〇万円は竹本組の竹本組長や稲川会の横倉に渡しているので、被告人八木の利得は五〇〇万円位である旨弁解しているが、この点は必ずしも明らかではないうえ・・・」(原判決一三丁八行目から一一行目)と述べて証拠上疑問があるとしながら、この点を明らかならしむるため、弁護人が証拠申請した竹本進、矢田信秋の各証人の申請を却下して取調べず、弁護人の反対尋問の機会を全く与えないで結審しているのである。

これを要するに原審は被告人の人権保障と本件の実体的真実の発見のために(刑訴法一条参照)どうしても必要な証人を全く取調べずに審理不尽のまま無理矢理に結審し、本件の各争点について全く独断的な事実認定と法律の適用を行ったものである。もとより弁護人が検察側証拠に無条件に同意し、何等の証人申請も行わなかったというのであれば話は別であろうが、弁護人は検察官提出の証拠に同意する当初から、被告人の人権保障と実体的真実発見のために同意書証の原供述者に対する反対尋問権を留保し、必要あるときは書証の原供述者を法廷に喚問し、弁護人側の反対尋問権行使の機会を与えていただくよう上申しておいたにもかかわらず、犯罪の成否や被告人との結び付きについては唯一人の証人も喚問せず、且つ、尋問せずに結審し、全く反対尋問にさらされていない検察官提出の書証のみで事実を誤認し法律の適用を行ったものである。

弁護人はこれに対し、再三裁判所の再考を促すと共に憲法違反等を理由とし異議の申立まで行ったものであるが(原記録一七七丁、一七八丁、一八二丁、一八五丁等参照)、原裁判所の容れるところとならなかったものである。

二 憲法三七条二項等違反

憲法三七条二項は「刑事被告人は、全ての証人に対し審問する機会を十分に与えられ、又公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する」と規定し、被告人に証人審問権の証人喚問権を保障している。

もとより右規定は裁判所が被告人側の申請にかかる証人の全てを取調べなければならないものでなく(最判昭二三・六・一三刑集二・七・七三四)どの証人をどの程度、喚問し尋問するかは裁判所の裁量に委ねられているもではあるが、本件のように犯罪の成否につき深刻な争いのある事案において被告人と犯罪との結び付きや犯罪の成否にかかる争点についての証人を弁護人の申請及び異議申立にもかかわらず、唯の一人も採用しないで反対尋問を行わせなかったということはまさに異常であり、裁判所の健全な裁量の枠を著しく逸脱したもので、憲法三七条二項の法意を全く無視したものというべきである。

実際、弁護人側としては原裁判所がこのように暴挙とも思える証人申請却下決定をし、弁護人の異議申立に対してこれを棄却した時、原裁判所としてはそのような弁護人申請の証人を取調べなくとも、現在提出されている証拠に経験則を加味して、弁護人の主張に副った認定をなす心証を固めているのではないか、そのため犯罪の成否に関する証人は必要ないのではないか、とひそかに期待し、被告人にもその旨話して慰めていたほどである(原記録一一二丁表、一一四丁裏等参照)。ところが蓋を開けてみると原判決は弁護人が条件付(反対尋問権の留保)で同意した検察官調書の記載(反対尋問にさらされていない供述)を盾にとり弁護人の主張をことごとく一方的な証拠と論理で排斥したのであり、弁護人側としては呆気にとられると共に何かだまし打ちに合ったような心境にさせられたのである。

「片言訟を断ずるなかれ」というのは古来からの裁判の鉄則である。弁護人側が反対尋問権を留保して同意した捜査官作成の調書というものはそれだけでまさに「片言」にすぎない。もとよりその「片言」通りの認定をしない場合にはもう片一方の証拠を調べなくてもよい場合があろう。しかしその「片言」のままに事実の認定をしようとする場合にはもう一方の言分、もう一方の証拠を調べてみて、どちらが信用すべきかを考えた上で公平な事実認定をなすべきであろう。これが法律上「反対尋問権を充分に行使させた上で公平な事実認定をなす」ということの意味である。

あるいは原審は弁護人が検察側証拠に同意したことによって全ての書証の原供述者に対する反対尋問権を放棄した(昭二六・五・二五最高二小、刑集五・六・一二〇一)と考えたのかも知れないが、弁護人が検察官提出の書証に同意した時には原供述者に対する反対尋問権を放棄しないことを明言しているし(公判調書の必要記載要件とはなっていない)、現に書証の取調後に意見を問われた際に直ちに書証の原供述者を証人として尋問されたい旨の申請をしていることから考えると原審としては弁護人が反対尋問権放棄の意味での同意をしたものでないことは百も承知の筈である(昭和二七・一一・二一最高二小・刑集六・一〇・一二二三)。

あるいは原審としては併合された被告人三名を相互に証人若しくは被告人として尋問しているからそれで足りると考えたのかも知れないが、これら被告人三名は公判廷において、捜査過程で作成された調書には信用性が乏しく、争点に関する記載には誤りが多いことを詳細に述べているものであり(原記録三丁裏乃至七丁裏参照)、これでもって原審が弁護人側の反対尋問の必要がないと判断したとはとても考えられないのである。

以上の理由により原審には憲法三七条二項に違背する憲法違反及び刑訴法一条後段に違背する訴訟手続の法令違背があり、その違反は原判決に影響を及ぼしていることは明らかであり、この点についても原判決は破棄されるべきである。

控訴理由第三点(量刑不当。刑訴法三八一条、特に弁論終結後の事情。刑訴法三八二条の二について)

既に第一及び第二において述べたところにより、本件が無罪となる場合には、量刑不当を論ずる必要はない。

しかし、最近の判例の傾向として、およそ適正でない方法で税金を軽減する相談をして申告書を提出しただけで、共謀による所得税違反として認定したものがあり、第一、第二において弁護人が論じたところが控訴審で認められたとしても訴因変更等の手続を経た上で何等かの罪で有罪となる可能性も皆無ではない。そこに本件において量刑不当を論じておく実益がある。

近時、主として東京地方裁判所において(他の地方裁判所と必ずしも軌を一にしていない)税法違反につき実刑を課する事例が急増しているが、これらの事例と比較しても本件の如き事案で被告人に懲役一〇月の実刑を課することは刑の量定が著しく重きにすぎ、苛酷である。以下その理由を述べる。

最近、東京地方裁判所において税法違反事件につき実刑の言い渡しが多くなったことは事実であるが、この傾向は東京地裁昭和五五年三月一〇日の法人税ほ脱罪についての判決(判例時報九六九号一三頁以下)をもって嚆矢とするものであり、それまで租税ほ脱犯の被告人に実刑が科せられた事例は他の罪との併合罪により処罰された場合を除いていえば、公刊物で見る限りそれまでの少なくとも十数年間には見られなかったことである。

これはもともと租税というものが人為的なものであり、租税史の中には悪領主や悪代官ひいては専制君主、国王等が自己の私腹をこやしたり、国家権力を強化したり、戦争を拡大し戦費を調達したりするため領民からしぼれるだけしぼりとるといったかんばしくない時代が長く続き、その反省の意味からも近代の民主主義国家においては租税犯という人為的な行政犯に対しては不当に免れた税金を納入させることを主たる目的とし、体刑を課したりして人民を租税のために苦しめるということはできるだけ謹んでいこうという傾向が芽生え、それが継承されてきたからであり、これは人類の大きな進歩ともいえるのである。

しかし時代が移り、社会が複雑化するにつれ、租税ほ脱行為そのものが営業と密接に結びつき業務上継続的に反復して行われる場合が生じてきた。前記の判例の事案はその一例であってトルコ風呂経営を行う法人(会社)がその営業と密接に結びついた脱税行為を継続的、反復的に行ったことで法人税ほ脱罪に問われたものであって、反社会的な営業と密接に結びついたこの種の反復累行の租税犯に対しては罰金刑のみでは到底その違法行為を阻止することができず、やむなく実刑に処したというのがその量刑の事情の主たるものであって、大方の同意の得られる常識的な量刑であった。

しかしその後、この判決の量刑事情を曲解し、租税犯につき何でもかでも実刑という傾向が生じてきているというのは嘆かわしいことである。租税のような人為的な制度についてその違反者に何でもかでも実刑を課し、善良な市民を租税恐怖症に落とし入れ、苦しめることはこれまでの人類発展の歴史に逆行するものであり、善良な市民の勤労意欲を著しくそぐことになるからである。

本件のように偶発的なもの、営業的でないもの、反復性のないもの、更正の可能性のある者に対してはできるだけ罰金刑にとどめ、体刑を課するにしても執行猶予を付する等の刑事政策的配慮を十分にとり入れ、税収を確保すると共にむやみやたらに服役犯罪者を増やさない量刑をお願いしたいのである。

原判決が(量刑の事情)として説示している部分については首をかしげたくなるような箇所が多い。まず、原判決は「・・・被告人等三名共謀の上、保証債務を履行するため資金の譲渡があった場合には、その履行に伴う求償権を行使することができなくなった金額について所得の計算上控除されるとする所得税法六四条二項の規定を悪用し、被告人本橋に架空の連帯保証債務を計上すると共に、その履行のために右土地を譲渡し、且つ、その履行に伴う求償権の行使ができなくなったかの如く仮装するなどの方法により所得を秘匿した上、判示の虚偽過少申告を行い・・・」と量刑の基礎となる事実関係を認定しているが(原判決一一丁裏八行目から一二丁表三行目)、この点については既に第一において論じた如く、真実は「右土地を譲渡してから、保証債務が成立したように装った」という共謀と実行行為があるだけであっておよそ所得税法六四条二項を悪用できるような綿密な計画も共謀もなく、現に実行行為も原判決判示のようなものではない。従って、悪質ではなく、この点からみるとむしろ幼稚な犯行である。

犯罪の規模について原判決は所得税七六五三万円を免れたと認定しながら(原判決一二丁表三行目)、比較的小規模で偶発的な犯行であるということには触れず、一年分の所得税にかかるものとしては高額であるとし、ほ脱税率も九七パーセント余りと高率である(原判決一二丁表三行目から五行目)ことを強調しているが、実際の量刑例としては一億円以下の脱税で実刑になった事例は稀である。

原判決は「所轄税務署担当係官等に対しては、いわゆる同和団体の組織的勢威を利用し高圧的に折衝するなど悪質である」(原判決一二丁表六行目から九行目)とするが、被告人等の中には本物の同和構成員は一人もいない。同和団体の組織的勢威を仮装しただけであって、同和団体の組織的勢威等を実際には利用することなどはできなかったし、高圧的に折衝することもできなかったものである。担当係官の方で被告人等が同和かどうかを少しでも調査すればすぐわかることであった。むしろ巧言令色的な言動というべきであろう。

原判決は弁護人の第一の二、三の主張に対し、その量刑の事情欄において「担当係官等の対応の非を強調するのはまさに省みて他をいうものであってこの点を情状として特に斟酌すべきものとはいえない」と述べているが(原判決一二丁裏九行目から一一行目)、これは既に述べたように弁護人の主張を曲解するも甚だしい。弁護人の主張しているのは、例えば公共の道路上で何等かの犯罪が行われていて警察官がそれを見て見ぬ振りをして何等適切な通報、検挙等の措置を講じない場合、犯人自身がその警察官の措置を非難するのはまさに省みて他をいうものであるが、善良な市民の側から見るとこのような警察官の措置がまさに犯罪を助長しているのであって、弁護人としてはまさにこのような善良な市民の側からみた情状を主張したのであり、この点は既に執行猶予の情状として斟酌した判例のあること前記の通りである。

更に原判決は被告人の個別的情状として「被告人八木は同和団体の幹部を名乗って他人の納税手続に介入し、報酬を得ようと考え・・・犯行についての態度は積極的であるばかりか、関与した被告人樋口らとの関係でも主導的地位にあったことは明らかである。・・・被告人八木の利得は五〇〇万円位である旨弁解しているがこの点は必ずしも明らかではない上、六〇〇〇万円の使途が被告人八木の一存で決められ、被告人樋口等には何等これに関与する余地がなかったことが明らかである」等と認定しているが、被告人八木は本物の同和でなく、同和と称して交渉を有利にしようとしたのが真相であり、被告人樋口等との間でも主導的地位にあったというのは曲解も甚だしい。主導的地位にあった者がどうして受け取った七〇〇〇万円の大半(六〇〇〇万円)を樋口の上部組織である竹本組長に渡すのであろうか。被告人八木に同和の脱税方法を教えたのはその組織構成員であった被告人樋口及びその上部団体の人達であり、被告人八木はこのような人達に踊らされていたにすぎない。六〇〇〇万円の使途を決めたのはあくまで樋口の上部組織である竹本組の幹部であって、被告人八木がその一存で決めたものではない。被告人樋口は自己の所属組織に貢献することにより本件の報酬を受け取ったともいえるのであり、被告人樋口の手に渡った金額が比較的少なかったのは同人が所属する組織内部の分配の問題である。これらの点は控訴審において証人尋問を行い更に明確にすべきものと弁護人は考えている。

原判決はしきりと被告人八木の刑法犯、交通事犯の罰金前科等を問題としているが(原判決一三丁裏一行目から五行目)、その反面、この種の租税ほ脱犯については被告人八木は全くの初犯であり、しかもこの行政犯は犯行以来既に四年以上を経過する古い事件であることには触れられていないし、実際に処罰されてしかるべき実行正犯の中川、南園、順次共謀の中核となり多額の報酬を受け取っている尾口、河上、下館等が本件では逮捕、勾留もされず起訴もされていないという不公平さにも触れていない(原記録一一五丁乃至一一六丁)。

原判決は被告人につき「公判廷においても弁解を重ねるなど反省の態度が必ずしも明らかであるとは言い難いこと等の事情を考えると・・・一〇〇〇万円を本橋被告人に返還していることなど斟酌すべき事情を考慮しても刑の執行を猶予することはできない」等と述べているが(原判決一三丁裏五行目から九行目)、これも原裁判所特有の誤解であり、弁護人が原審の進行中ひそかに懸念していたところである。

何故かというと本件について被告人の弁解といわれているものは、弁護人が公益的な立場若しくは善良な市民の立場から、裁判所や税務当局に対し、憎まれることを承知の上で御意見を充分に言わせていただき、被告人のみならず、税務当局の反省を促したものが多く、これを被告人自らの個別的、主観的な弁解として改悛の情との関係で捕えられると原判決のような省みて他を言うといった見方になるのであるが、これは誤解以外の何物でもないというべきである。

被告人は本件について心底から反省しているものである。しかし弁護人としては大局的、公益的というか、善良な市民の立場からみて、本件のような税務当局の対応の非について憎まれることは承知の上で御意見申し上げざるを得ないし、それが弁護人の職責と考えるものである。又、同時にこの点は本件について考えるべき極めて重要な事実上の争点であり、量刑の事情でもある。何故なら現実にこのような点を考慮して執行猶予を付した判例もあるのである(昭和六〇年一一月二一日京都地裁判決、同月二二日読売新聞)。

被告人八木は第一審判決後心底から本件を反省し、謹慎しているものである。被告人本橋にも迷惑をかけたことについて反省し、何とか自己の力で本橋被告人に対し受け取ったお金の全額を返済したと考えている。自己の使ったお金ではないが何らか贖罪の道を歩みたいと念願しているものである。

以上、原判決の実刑一〇月はこの種の再犯のおそれのない偶発的な犯行に対してはあまりにも不当に重すぎるものであり、判決後の被告人の反省の情を考えるとなおさらその感を深くする。願わくば、控訴審において原判決を破棄され、被告人に執行猶予の判決を賜るようお願いする次第である。

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